19:[楽天知命](1/25)
羽の生えた大きな鏡の前で、紫の瞳の青年はじっと考えていた。
「こう…もうちょっと何か欲しいよね」
青年が片手を上げると鏡は元の球体に戻る。
『まだ掻き回すんですか』
「掻き回すんじゃない。最善の一手のために補強してるんだ」
球体は何故か辺りをきょろきょろと見回す。
「天照はもう帰ったぞ」
ほっとしている球体を余所に青年は自室を出た。長い廊下の突き当たり、赤黒い大きな扉をゆっくり開く。一歩部屋に入ると、待っていたかのように一匹の猫が…というにはだいぶ大きな動物が駆け寄ってきた。
全身真っ白な毛並みに紅い大きな瞳が目立つ。立ち上がったら2メートルを超えそうな程に大きな"猫"だ。長い尻尾が困ったように垂れ下がっている。
「なんだ、どうした蒼天」
青年はふと中央の寝台に目をやる。アヤメが静かに横たわっている。特に変わったこともない。その横の椅子には、この世の終わりでも来たかのような顔付きでマサミが座っている。これも特に変わらない。…が。
「おいおい、ちょっとでいいって云ったろう。なんでそんなにざっくり切っちゃうのっ」
青年は慌てて扉横の棚から薬瓶を取り出し、マサミの側に駆け寄る。マサミの手には彫りの綺麗な小刀が握られていた。左腕の内側をかなり深く切りつけたようだ。足元には血溜まりが出来ていた。横たわったアヤメの、血の気が失せた白い顔。その形の良い青ざめた唇の廻りには血の跡がついている。
「指先だけでいいって云ったのに。定期的に血を入れるんだから、こんなに傷つけたらお前が足りなくなっちゃうだろ、もう…っ」
青年は文句を云いながらも、その腕を丁寧に手当てをした。
「逆によかったんだ、そう落ち込むな。これでお前がアカの他人であったら血は使えないんだ」
天照の行為によりアヤメの心の臓は動き出した。行為自体がどういったものだったのか、見ていないマサミには解らない。だが想像できることはそう外れてもいないだろう。
《足りない血はそいつで補え》
そう言い残して天照は去っていった。青年が云うには他人の血ではならないと。ヒトの世でいう、血液型とかいうものはここでは意味のないものらしい。
《同じ血が必要だ》
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