桃仙鬼夜話

9:[時](1/8)


屋敷から少し離れた川に桃太郎達はいた。猿は魚を一心不乱に狙って、もちろんお気に入りのコートは川岸にきちんとたたまれて。犬神は常に桃太郎のそばに離れずに静かにしていたが、そこは川岸。桃太郎が川の中を少し移動すれば、犬神もまた少し移動する。

「ん、けっこう入ってる」

桃太郎は川の中から仕掛けを引き上げた。

「親分、カニ何匹とれた?」

猿は逃げられた魚を諦めいそいそと桃太郎に駆け寄り、仕掛けの中を覗き見る。

「なんだよ、小せえなぁ」

「十分だ、お前は自分でとれよ」

「えー」

その間、鴉は川に生える草を黙々と採っていた。食べると山葵に似た香りがする草。鴉自身は食べないが、桃太郎の好物のひとつなので一生懸命に集めていた。桃太郎は蟹を見せたくて犬神を振り返るが、犬神は側におらず、何故か離れて滝下を覗き込んでいた。

「何してんだ?」

「し…」

犬神は人差し指を口に当て桃太郎を制す。滝下の祠、不動明王の祠の前に一人の女がいた。祠の前で屈み込み静かに手を合わせていた。

「あ…」

桃太郎はその女の、左目の下に三つ並んだホクロを見てとった。女は立ち上がり、畳まれた布らしき物を祠の前に置くと暫く立ち竦んでいた。女がふと視線を滝上に向けたので、桃太郎は思わず身を隠してしまった。犬神と、後から来た猿もつられるように身を低くする。

「何、どうした」

問い掛けても答えない二人が来になり、猿は少し間を置いてからそっと下を覗き込んだ。

「誰もいねェじゃねえか」

「なんか置いてったね。アタシが見てこようか桃ちゃん」

自分で行く、と云い桃太郎はそのまま滝を飛び降りた。大きい滝ではないが簡単に飛び降りられる高さでもない。桃太郎はまるで単なる段差を降りるかのように躊躇なく踏み出し大きな岩に着地した。

同じように犬神と猿も後を続く。横目で見ていた鴉も、三人がいきなり飛び下りたので慌てて後を追った。桃太郎は祠の前に回り置いてあった物を手にとると、じっと考え込むようにして眺めていた。それは赤と黒の市松模様の布だった。

「布…?」

「何だそれ」

桃太郎にはそれが、あの娘が織った物だと気づいた。あの娘の家からはよく、夜遅くでも機織りの音が聞こえていたのを知っている。

「ずいぶん中途半端な大きさ、ね」

犬神は視線に気づきとっさに姿を隠した。猿と鴉も同時に木々の中へ消えたが、桃太郎だけは動かなかった。女が声をかけた。

「…ももたろう?」




−山を下りてはいけない−




桃太郎はそう母親に云われ続けていた。幼いながらにそれはきちんと守っていた。しかし、日が経つにつれ物足りないという気持ちが強くなった。桃太郎は、言葉はだいぶ遅かったが二歳の頃には親の目など必要ないほどにしっかりと歩き、敷地内とはいえ駆け回っていたのだ。

桃太郎が生まれた日に、屋敷に来たという白い老犬とともに日が暮れるまで遊んだ。三歳の時に屋敷に使用人が六人来た。そのうち四人の男は父に着いて仕事をしていた。二人の女が母の仕事を手伝い桃太郎の世話もしていた。それぞれが仕事の合間や夜になると、桃太郎と本気で遊んでくれていた。それでも物足りなくなったのだ。

人恋しくなったのだろう、と両親は思っていた。

だがそれは許されないこと。母親はとくに厳しくしていた。それでもそろそろ限界だろうと母親が思った矢先、白い老犬が目の前に座った。片時も桃太郎から離れない犬。離れないというよりも、桃太郎以外に近づくことがない。それが初めて桃太郎の母親、アヤメの前に自ら座った。互いに心を探ろうとするかのように目線を逸らさなかった。

どれだけ時が過ぎただろうか。アヤメは漸く目を閉じ、犬から視線を外した。そしてそっと床に両手をつき頭を下げた。

…− 桃太郎を、頼む −…

アヤメは白い老犬に向かい頭を下げた。アヤメの耳奥で音が響く。

…− 我ノ主ハ 桃太郎ノミ −…

アヤメが視線を上げると、そこに白い老犬はもういなかった。

その翌日だった。桃太郎は白い老犬を連れて、こっそり残して置いた八ツ時にいつも食べる母の手作りのだんごを腰につけ、山を下りたのだ。

折しもその日は村の夏祭りであった。村人が総出で飲んだり食べたりと楽しんでいた。その光景を目の当たりにし、桃太郎は少し驚いていた。最初は近くの林からそっと様子を伺っていた。何をしているのかわからなかったのだ。人だかりの中央で赤い獅子が刀を持ち舞っていた。



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