白猫の足跡
[Crocus.](1/11)
4時。

かなり早く目が覚めてしまったけれど、変に冴えてしまって寝られる気もしないので 布団から起き上がる。

冬の、肌を刺すような空気が 妙に心地いい。


着替えて、歯を磨いて、顔を洗って、
英単語帳を片手に 家を出る。

4ヶ月前のあの日から、私の時間は止まってしまったようだった。
いつかこうなるんじゃないか、という気はしていた。
それでも、彼に依存していた私にとっては 受け止めきれない現実であることに変わりはなくて。


白い息を吐いて、見慣れた道を歩く。

地区の集会所。
宗教団体の建物。
ガラス工房。

そこまで行けば、潮の音が聴こえる。
国道を渡って、堤防沿いをゆったりと歩く。

この時期のこの時間帯となれば まだ空も暗く、車も ましてや歩いている人すらもいない。


しばらく歩いて、途切れた堤防の隙間に体を滑り込ませて 砂浜に足を運ぶ。
決して綺麗な海とは言い難いが、地元の海ということもあって 思い入れは深い。
それに、雪の降る海というのは なんとも形容しがたい美しさがあるのだ。

浜辺に転がる大きな石に腰を下ろして 英単語帳に目を落とす。
この英単語帳は特徴的で、短めの文章で単語を覚えていく形式のものだ。

彼を失ってから、幾度となくめくったページ。
稀代のミステリー作家、アガサ・クリスティを題材にした文章。
晩年の彼女は 狂ってしまったかのように、何度も自殺を試みたそうだ。

彼女は何を考えていたのだろう。
もう何年も前の、関わりもない人の話だから分からなくても当然だと言ってしまえばそれまでなのだけれど。
それだけが理由なのだとすれば、私にとって一番の存在であった彼のことは 分かってもいいはずだ。


だんだんと空が白んでくる。
光が反射して輝く海に惹かれる。

単語帳を閉じて、靴を脱いで、海に足首まで浸す。
瞬間、凍てつく温度が足を包む。
けれど もっと、もっとと求めてしまって、そのまま足を進めていき 気づけば膝まで浸かってしまっていた。



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