フリージア
3.違和感(1/12)
翌日には熱も下がり、体調はすっかり良くなっていた。
出勤すると花奈の心配の言葉と部長からの厳しい言葉が待っていて、私は素直に謝った。
それから、皐月くんの事も聞いた。
「皐月くん、帰ってきたんだってね。」
部長に一通り怒られた後席に戻り、花奈にそう言うとぱあっと明るい表情を向けられた。
心底嬉しそうなその顔に、やはり彼の存在は花奈にとって大きく特別なのだと再認識した。
「そうなの!会社から出たら皐月くんが待ってて、前と少し変わってたから初めは気づかなかったんだけど中身とか笑顔とか何も変わってなくて安心しちゃった。
それから皐月くんが高木くんにも会いたいって言うから家に呼んだのよ。」
高木くんから聞いた通りの話だ。
花奈の顔はデロデロに崩れていて幸せそのものだった。
いいなぁ、嬉しそう。
少し、羨ましいかも。
「今はもう前の生活に元通り?」
「そうね、皐月くんも行く場所無いし、私も一緒に住みたかったから。
あ、ちなみにもう皐月くんじゃなくて律くんって呼んであげて。」
「律?」
「成瀬律。それが彼の本名なんだって。」
成瀬律…。
彼は本名を嫌っていた。
高木くんに聞いた話だと本名で呼ばれることを嫌い、花奈が付けた偽名をえらく気に入り、そちらで呼ぶことを強要したという。
それは友人間だけでなく、先生にまで。
卒業式の時に女生徒達は花奈のことを『村上くんのお母さん』と呼んでいた。
それ程までに徹底的に偽名を貫いてきた彼がそれを捨て、本当の名前を明かすなんて。
それを呼ぶように花奈に言うなんて。
父親の呪縛から解放された、ということなのだろうか。
そういえば、ずっと疑問に思っていたことがある。
皐月くんが帰ってきたと聞いた時からずっと、不思議に思っていたこと。
「前にニュースで成瀬さんが逮捕された事件あったじゃない?今も世間で騒がれてる。
そういうのがあったら息子であるさつ…律くんの方にまで取材とかが来たりして暫く帰って来れないかなって思ってたんだけど、案外すんなり帰ってこれたんだね。」
「あぁ、それは成瀬さんが律くんの存在を隠していたからよ。
あの人は律くんのことを疎ましい存在としか見てなかったから世間から隠してたの、ずっとね。
律くんの事を自分の汚点だと思ってたみたい。
まぁそれが今回は功を奏して律くんは全くマスコミに嗅ぎつけられなかったし、今は私の家に住んでるから安全なのよ。」
「なるほどね。」
こんな言い方はしたくないが、成瀬さんが律くんをお荷物としてしか見ていなくて良かった、ということか。
警察からすれば律くんの存在を知っているとは思うが、まだ学生の彼に疑いを目を向ける事もしなかったのだろう。
身辺調査をすれば成瀬さんがどれだけ律くんの存在を隠していたか、居ないものとして扱っていたかが分かるだろうから。
とはいえ律くんの存在がマスコミにバレるのも時間の問題。
花奈の所に居るのが何だかんだで一番安全なのかもしれない。
「律くんは元気?」
「うん、思ったより。やっぱり傷は増えててあの時よりもボロボロだったけどもう最初の頃みたいに笑わなかったりしないの。
ちゃんと笑ってくれるし、好きって言ってくれるし、だいぶ状態も良くなってるのかなって。
高木くんにも前よりは優しいしね。」
離れている間寂しくて、早く会いたったのは花奈や高木くんだけじゃない。律くんも同じだ。
愛しい人、初めてできた親友、彼らが何をしているのか、心配していたのはきっと律くんも。
早く会って抱きしめたり、色んな話をしたかったに違いない。
以前のような平穏で何も無い日々を送りたかった。
それは全員同じで誰か1人が特別寂しかった訳では無い。
律くんは必死に成瀬さんの元で耐えていたのだろう。
傷、増えちゃったのか。
早く消えるといいな。
その傷が消えるまで、見えない心の傷が癒えるまで、彼は解放されない。
まだどこかで成瀬さんに囚われていて、まだ彼は孤独。
それを救えるのは花奈や高木くんだけ。
それにこれから先出会える人達だけだ。
「西ノ宮大学に通ってるんだって?
どうなの?友達とか出来たって?」
「うーん、そういう話はまだしてないんだけど、多分出来てないと思う。
でも前みたいに自分から突き放したりはしてないみたいだよ。
普通のクラスメイトを演じてるんだって。」
「演じてるって…。」
「まぁ急には馴染めないよ。
その大学に通いながらも成瀬さんの傍にはいた訳だからまだ自分はオカシイって思ってるみたいだから。
出来れば大学でも高木くんみたいな友達ができて欲しいけど律くんの問題だし、律くんが仲良くしたいって思う子と出会えた時でいいかな。」
これは私の予想だけど律くんはきっと大学じゃそこまで仲のいい友達は出来ないと思う。
身体の傷の事や彼がオカシイことは抜きにして、律くんはそこまで欲していない。
以前までは彼の手の中には何も無かった。
それが急に花奈という愛しい存在や高木くんという友人と呼べる存在ができて、彼はそれで満足している。
それ以上望むことを罪だと思っている。
だから欲しがることは無いんじゃないかな。
それに、花奈や高木くん以上にいい女、いい男はそう居ないよ。
p.26
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