いつもスウィング気分で
11[1986, Autumn 11](1/5)
 DIRECTOR'S ROOMとシルバーの文字で書かれたプレートが俺の目の高さにある。森田秋子がドアをノックした。ボスはプレジデントっていう言葉がお嫌いなのよね、と彼女が言った。
 ドアを押すと10畳あまりの広さの部屋がある。社長室には程遠いイメージの事務的な机が窓際に置いてある。全ての社長室がそうであるように窓に背を向けてではなく、手元に光が当たるように窓を左にして置いてある。何故ならボスもまたプログラミングをするからだ。社長然とした仕事のみでなく、我々同様の実務もする。だからここはプレジデントルームではないのだと彼は言う。絵も飾っていなければ置物も無い。オーストリア製のシンプルなコートハンガー兼傘立てがデスクの脇にすっくと立っている。応接セットなど元より置ける広さではないので、これもまたオーストリア製の実用性だけを追求したソファベッドが置いてある。壁際のサイドボードにはコーヒーカップとグラスがそれぞれ6客ずつと湯沸しポットが飾り気無く置いてあるだけ。彼は秘書を持たない。若干というには憚りあるが、45歳の塚田待男、我が社の社長だ。彼は未だ現役だ。頭が非常に柔軟だ。大学時代は陸上のオリンピック選手に成り損なったそうで。
「ボス、お待たせいたしました。お呼びでしょうか」
 彼女の癖だ、右手で前髪を掻き上げる。ツカツカとボスの机に歩み寄る。俺はトボトボと彼女の後ろをついて行く。彼女の頭越しに事務椅子に腰掛けるボスが見える。
「済まないね、朝っぱらから呼び付けて。ミーティングで話しても良かったんだが、一応君たちの了解を得ておこうと思ったもんで」
 まあ掛けたまえとソファを示し、机の引き出しからバインダーを取り出した。そこから1枚の紙をはずし俺に差し出した。立ち上がり手を伸ばして受け取り読み始めると、彼女が覗き込んだ。半分読み終わらぬうちに2人は同時に、えっ、と声を揚げた。そして驚きの余りポカンと口を開けたまま顔を見合わせた。ボスが低い声で、どう思う?と言った。
「どう思うと言われましても・・・」
 ジキジキしたワープロの文字で社箋に書いてあることは、いついつからどこどこへ出張所を新設するため下記のことを決定する、と2行。その下に、記、の1文字。行を変えて、出張所メインキャップ、その右にカタカナで俺の名前。その下に平行してサブキャップ、その右に彼女の名前。森田秋子が一気に課長クラスに昇進・・・。
「あの、ボス、黒瀬さんがキャップと言うのは分かります。でも今年入社したばかりの私がサブというのは無謀ではありませんか」
 彼女の言葉を受けてボスは俺を見、ニヤリとした。そして言った。
「無謀だと思うか、黒瀬」
「時期的には無謀のように思われますが、資質から言えば決して無謀だとは・・・」
 ちらりと隣を見ると彼女が俺を軽く睨んでいた。ビジネスの枠を少し超えた表情のように思われた。こんな時に油断を見せるのが彼女の可愛いところでもある。

- 53 -

前n[*][#]次n
/85 n

⇒しおり挿入


⇒作品?レビュー
⇒モバスペ?Book?

[編集]

[←戻る]