いつもスウィング気分で
3[1986, Autumn 3](1/3)
 今朝は危うく遅刻しそうだった。夕べはタイマーのスイッチも目覚まし時計も何もセットせずにバタンキューだったのだ。8時に不思議と目が覚めたのはラッキーだった。急いで身支度をした。車で行こうかどうか迷ったがやめにした。ここから青山まで3、4qしかない。順調に流れれば10分もかからないが、朝の道は信用できない。裏道が工事中だと厄介だし、こんなに焦っていては自分の腕も定かではない。仕方なく朝から暑い中駅まで走った。汗だくだ。今日はついてない。いいや今日もだ。昨日は昨日で森田秋子との間に邪魔が入った。うむ、今日こそ2人で飲むぞ。
 8時55分、ギリギリ間に合って俺はドスンと椅子に腰を下ろした。森田秋子は居ない。あ、居た。洗った雑巾をパラパラとほぐしながらドアから入って来たところだ。彼女は今週掃除当番なのだ。とすると来週は俺か。掃除は、清掃業者に委託している部分もあるが、6人の机を拭く、床を掃く、端末にハタキをかける、ゴミ箱のゴミを捨てる、などをしなければならない。チーム内の6人に男女の区別なく課せられている。毎日しなければならないわけではない。とにかく汚れていなければ良いわけだ。それは、人それぞれ感覚の違いで、いくら掃除しても気が済まない奴もいれば、ふっと吹いて埃が立たなければ綺麗だと言う奴もいる。俺だって、月火は前の人が掃除したのがまだ効いてるからそれほど汚れていないと思い込み、水曜日にまとめてする。木金は次の当番がやってくれるから、それまで大して汚れはしまいと思い込む。結局水曜日だけだ。別に苦情は来ない。誰だって掃除なんかしたくないのさ。
掃除機じゃないと掃除した気がしないと言う奴もいる。
 森田秋子に言わせれば、掃除した気がしないというのは、綺麗になったという結果が掃除をしたという事実から導き出されているということを無視しているのだそうだ。確かにその通り。パンだと食べた気がしないとか、ベッドだと寝た気がしないというのと同じだ。
 森田秋子の掃除ははっきり言って文句のつけようが無い。申し訳ないくらいちゃんとやってくれる。ゴミ箱はゴミを捨てるだけでなく、洗ってくれる。だから他のチームのゴミ箱は底に黒い物がこびり付いていたり、ガムが固まってくっついて、その上に紙屑がへばり付いていたりしているのだが、うちのチームのは新品のように綺麗だ。端末もキーとキーの間の垢まで洗剤を使って取る。30分はゆうにかけ、終わるころには汗をかいている。今も額に汗を浮かべ席に戻って来た。机のレールに雑巾をかける。ムスクがフワリと匂った。
「毎日そんなに徹底的にやらなくても良いよ」
「まさか。毎日はしてません。月金だけです。あとは履いて拭くぐらいで。毎日やってたら疲れちゃいます」
「このチーム、まともに掃除してくれる奴が居ないんだよな。俺もついつい甘えちゃってさ。悪いと思ってるんだ」
「他人んちの掃除なんて誰だって進んでやろうとは思いませんよ」
 そう言っていたずらっぽくニヤリとした。その時、スピーカーから音楽が流れ出した。9時になったのだ。何ともセンスの悪いインストゥルメンタル。これはボスの趣味だ。俺なら朝と仕事に相応しい曲を選んで流すのに。花の金曜日にはチックコリアの"What game shall we play today?"なんてどうだ。
「こういう音楽は区役所の食堂にでも流しておけば良いのにな」
「カラオケよりましでしょう」
 と彼女は答えた。俺は吹き出してしまった。若杉のことを思ってだが、さて彼女は何を意味してそう言ったのやら。

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