感謝小説
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[2014,03 そうだ、春休みだ](1/1)
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 季節は春を迎えた。
 今年は花粉の量が凄まじいらしい。
 だからなのか、通勤電車内にもマスク着用の人間が増えたようだ。
 ところで、聖域を譲って以来、女子高生とは毎朝会釈し合っていた。
 俺が乗車すると律儀に近くまで来て頭を下げられるので、その流れだ。
 互いに何を話すでもない。
 立ち位置を提供し、それを受け取るだけの関係である。
 付加要素があるとすれば、俺は前方を押し潰さないよう気を遣い、彼女は俯き加減に微笑んでいるということぐらいだろうか。
 知人、とは呼べない。
 せいぜい顔見知り程度に区分するのが相応しいだろう。
 そうして枠組みに当て嵌めると、決して親しくはない間柄だった。
 ただ、自分にとってはそうでもなかった。
 些細な出来事に、有意義さを見出していた。
 他人からすれば大したことのない日常だと理解している。
 それでも、そこへ自分に都合の良い解釈を施していた。
「少なからず誰かを守っている」という、誇大表現もいいところの自惚れだ。
 幼い頃、戦隊物のテレビ番組が大好きで憧れていたことが、こうした気持ちへ繋がっているのかもしれない。
 こうして朝の憂鬱な一時が違ったものへ移り変わっていったのだけれど、ある日、彼女は急に姿を見せなくなった。
 と言うより、電車から制服が消えた。
 時期的に春休みだと気付いた瞬間、ふと思い知ったのだ。
 俺は彼女について無知も同然だ、と。
 年齢は勿論、学年も知らない。
 顔見知り程度の関係であれば、これが普通なのだろう。
 なのに、少し淋しい気がする。
 小学校の時分、特に親しかったわけでもないクラスメートが突然転校することとなったが、その際抱いた淋しさに似ているだろうか。
 もう、少年だった彼の名前すら覚えていない。
 本当に、本当に薄い仲だった。
 同じ教室で同じ授業を受け、時折会話してようやく彼という人間を認識する。
 居て当たり前、だけど居なくても差し障りがない、そんな存在だった。
 ただ、明日から会えなくなるとわかった瞬間、俺は確かに淋しいと感じたのだ。
 もっと話せばよかったなんて後悔をして、だけど日が沈む頃にはさっさと感傷から離れていた。
 彼女に対しても、きっと同じだ。
 かつてのクラスメートより気を掛けていた分、記憶に留まる時間は長いかもしれないが、そのうち「こんなことがあった」と事象だけを残して過去になる。
 顔を、存在を忘れて、時折何かの拍子で思い出すのだろう。
 それでも今は、あの微笑を覚えている。
 まるで癖のように、ひしめき合う乗客を軽く見回しては、こちらへ向けられる視線を探してしまっていた。
 一つ、息を吐く。
 目的の駅へ到着するまで、あと三駅だ。
 陣取る聖域から、背中の安心を得る。
 揺れる体が倒れないよう、足に力を込めて立つ。
 車内アナウンスが、混雑をくぐり抜けて耳に届いた。
 流暢で、不明瞭な音声だった。

 もっと話せばよかった。

 ふいに、いつかの後悔が舞い戻る。
 誰に対してだろう。
 教室を去った少年か、大人しそうな雰囲気の持ち主か。
 答えは、考えるまでもなく手の平で転がっている気がした。

 もし、また会えたら。

 会えたら、何だと言うのだろうか。
 変人扱いされるのはごめんだ。
 視界の奥で開いた扉が、ぼんやりと考えにふける時間を削り取った。
 脳が現実へ傾いていく。
 緩慢な速度で、一会社員としての自分に切り替わっていく。
 降車まで、あと二駅。
 たくさんのマスクと重みを失った上着たちが季節を物語る。
 弱者を助ける戦隊たちへ寄せていた幼き羨望が、現在の自分に追いやられていく最中、足掻きのように春休みが終わるのはいつだったかなんてことを思い出していた。


―Fin.―

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