gift-貴方が与えてくれたもの
【17】[僕、どうして…?(前編)](1/2)
夫の、規則正しい寝息を隣で聞きながら、私はいつまでも寝付けなかった。
いつになく、奇妙に堅苦しくて後ろ向きな、夫の話しぶりも気がかりではあったのだけど。
―カヲルは、ワガママで、頑固だと思ってたな…小学校から、中二までは。
可愛くなかった訳じゃなかった。
そんなんだったら、四年生の、あの時、カヲルの言葉に取り乱して、泣いたりしなかったと思う。
人並みに可愛くて、カヲルにはカヲルの良いところ、優れたところ、カヲルなりの優しさ、いっぱい持ってるからこそ、カヲルの一方的で、自分勝手な、「なんで、わかってくれないの?」が辛かった。
同じ位、私の「それじゃ、わからないんだよ」がカヲルに届かず、どれだけ説明しても報われない無力感と、そういうカヲルを認めてくれない学校とカヲルの板挟みになってて、いつも…
悔しかった。
―あの夜も寝付けなかったな…
カヲル、四年生の一月。
あの頃のカヲルは、小学校時代で一番安定して過ごしていたように見えて、その実、周りの人間関係の、質の変化を、敏感に嗅ぎ取っていた。
十歳を過ぎた頃から、子供の人間関係は、それまでの「みんな仲良し」から段々と、「特定の友達との深い関わり」に移っていく。
カヲルは、一人だけ、その波に、完全に乗り遅れていた。
アスペルガー症候群の人は、子供時代、イジメに遭った経験を持つ人が多い、と聞く。
「何かが、みんなと違っている。」という、漠然とした違和感を感じながら、「何が」は、わからないまま、成長し、成人まで達する人も多い。
多分、カヲルも例外じゃなかったんだと思う。
親の目で見ても、小学校時代から中学にかけての、カヲルのKYぶりは、とても見過ごせるレベルではなかった。その結果、クラスの中で孤立して、カヲルは、ずっと、「友達が居ない」日々を送っていた。
―アスペっ子だから、って、友達が欲しくない訳じゃないのにね…
「自閉症スペクトラム障害」と、字で書くと、「自分から心を閉ざして、他者に関わりを持ちたがらない障害」みたいに見えるけど、実際は逆だ。
周囲の人間に興味関心は持つし、関わり合うことで、人間関係を作っていこうとはする。
ただ、カヲルの場合、その「時期」と「方法」が、かなり、激しくズレていた。
…クラスの中では、同級生と上手くやっていけてないのに、休み時間に校庭に出ると、すぐ、低学年の子達に取り囲まれてねぇ。
休み時間中、ずっと低学年の子たちの面倒見て、一緒に遊んであげてるんですよ。普通、あのくらいの年齢になると、我慢して、ちょっとは、付き合ってあげても、適当に逃げるものなんだけどな、カヲルは、よく、毎日、毎日…
そんな風に、当時の教頭先生から言われたこともあった。
四年生以降のカヲルは、下級生と遊ぶのが上手で、ウケも良く、「面倒見が良い」と褒められることも多かったらしい。
その一方で、同級生との間柄は、特に女の子と険悪で、その内何人かは、中学、高校でも一緒になってるけど、修復不能な関係の相手もいるらしい。
片や、下級生達はカヲルの卒業式の時に、長い付き合いの五年生はもちろん、一、二年生までが、「もう、カヲル君と遊んでもらえなくなる」と、泣いたのに。
今だって、遥と、かな太のお迎えついでに、カヲルが小学校に顔を出すと、カヲルを良く知らないはずの子供達に、群がられている。絡まれても、カヲルも嫌がりもせず、相手をしてあげている。
…なんだか、ちぐはぐなところがありますね…
首をひねって、教頭先生は不思議がっていた。
…小学生じゃ、同い年より、年下と付き合う方が難しいはずなんだがなぁ。…
―定形発達の、「普通の子」だと思って、見てたから、そう思えたんだよね、多分。
振り返って考えてみたら、もしかしたら、あの頃のカヲルは、対人関係の能力に、かなり発達の遅れがあって、四年生の時期には、まだ、低学年レベルの「コミュニケーション能力」がやっとだったんじゃないか?という気がする。
それまでの、周りなんかどうでも良くて、他人なんか気にもならなかったカヲルは、四年生になってから、大幅に遅れながらも、「みんなと仲良くしたい」気持ちが育ってきていたんじゃないか?と思う。
ところが、周りは既にその段階を過ぎていて、更に、カヲルの過去の態度が悪すぎたと思ってるから、今更、カヲルに合わせた付き合い方をしてあげよう、なんて子は少なかったんじゃないか?
だから、自分の対人関係能力と同じレベルの低学年の子達と付き合うのは、カヲルも楽で、逆に、暦年齢上は同学年、の同級生とは、カヲルにはレベルが届かず、歯車がかみ合わないばかりだったんじゃないか?
今となっては、想像に過ぎないことだけど。
―遅れてる上、対処の仕方を間違えてたしなぁ…
カヲルは、小学生の頃、とても頑なで、攻撃的な態度を取ることがあった。
他人の意図を読み取るのが下手、というのは、自閉系っ子の特徴のひとつだけれど、読み違えた後、自閉系っ子みんなが、同じ様に反応するか?というと、そこは彼らにも「個性」がある。
例えば、カヲルも遥も、「他人から、早口の大きい声で、何かを言われる」と、内容に無関係に、「叱られた」と、誤解してしまう場合がある。
遥の場合、叱られた=攻撃された、の次は、白旗あげて逃げるか、恐怖感が強ければパニックで泣き喚く。
かな太が、もし、似たような状況に遭遇しても、多分、読み違えにはならず、「分からない」と不機嫌に、聞き返すだろう。
ところがカヲルの場合。
叱られた=攻撃された、までは、遥と同じだが、その後が恐ろしい。
「攻撃は最大の防御」、を地で行くカヲルは、いきなり、反撃をかましてくるのだ。
遥と違って、カヲルは身体能力面でも、知的にも、はしっこい性格してるからか、とにかく負けず嫌いで、やられっ放しは嫌なのか、凄まじい勢いで、食ってかかってくる。しかし、そもそも読み違いが発端の反撃だから、その、内容はシッチャカメッチャカの屁理屈で「悪魔の三段論法」を振りかざして一方的に怒るんだからたまらない。
そんなことがあるたび、先生からは、「性格に問題がある」と言われた。
同級生の保護者の中には、暗に「家庭環境」とか「しつけ」を原因にあげていた人もいただろう。
―性格のせいばっかりじゃなかったのに…
カヲルは、小学校時代、ずっと、「発達障害を配慮した適切な対応」なんて、ほとんどしてもらえないまま、過ごしてきた。
かな太や遥より、ずっと強い感覚過敏を抱えていながら、知能が高くて、ある程度までは自力で頑張って調整をしてしまえる器用さもあった。
だから、本当は、いつも負担を抱えたまま、しょっちゅう、障害を「わがまま」と誤解されて、カヲルから見たら「理不尽な叱責」を受けて暮らしていた。
その一方で、カヲルにわかりやすい方法で、障害をダイレクトに支援してくれるような関わりは、ほとんどなかった。
―そりゃ、限界も低くなるよね。無理な頑張りを続けてるんだもの。
理不尽な攻撃を、孤立無援で、義務教育の大部分…14歳まで凌ぎ続けていたのだとしたら…
攻撃された、と、感じたら、とっさに「反撃をしなくては、生き延びられない」と、自閉症スペクトラム障害を持つ子供に特有の、デリケートな心が、原始的な自己防衛に走ってしまうのかもしれない。
その上、カヲルには、「事が起きた時、かばってもらえる関係」を作ることも困難だった。先生までが「とてもかばいきれません」とこぼしたことさえあった。
人間関係を作っていく「社会性」「コミュニケーション能力」に障害を持っていることが、カヲルに対するイジメの本当の原因でも、周囲の対処が、表面の「カヲルのKYな態度」ばかりを追求していたことが、良くわかる。
自閉系っ子の心が、孤独感に浸りがちになるのは、単に、「自閉症スペクトラム障害を持つ人が、全人類のひと握りだから」ではない。
数で言えば、「百人に一人か二人」と言われるアスペルガー症候群は決して少なくない。
「人間関係」という、漠然として目でみることのできない、社会システムを感覚で理解して、言葉だけに頼らない、コミュニケーション能力で、気持ちのやりとりをする。その両方を駆使して、自分が所属している社会の中を自由に渡り歩いていく力、が、生まれつき、極端に弱い。
そっちの方が深刻だ。
四年生の終わり近くなって、カヲルは、多分、初めて、「友達が居ない」ことを、痛烈に自覚した。
…僕は僕で、頑張った。クラスのみんなと仲良くしようと思ったから。…
あの時、カヲルは泣きながら私に訴えた。
だけど、もう、ある程度「仲良しグループ」の固定した関係の中に、カヲルの居場所は無かった。
…頑張っても、頑張っても、全然、うまくできない。どう頑張ったらいいのかだって、良くわかんない。なのに、みんなは、僕が悪いからだ、って言う…
やっと追いついて、頑張って、報われなくて、気がついた結論は、
…学校には、僕の居るところが無い。どこにも。…
だった。
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