gift-貴方が与えてくれたもの
【14】[お目にかかってても、迷うんです](1/2)
子供の修学旅行を成り行きを心配するのは、多分、どこの親でも、程度の差はあれ、自然な気持ちだろう。
あと三日しかない、というのに、遥の、元担任の先生への「どこかでお目にかかってました?」は、私の、「不安レベル」を一気に上昇させた。
「ね〜、あんなんで大丈夫なのかな?遥ってば。」迷子にならないかな〜?
「お前…また?」
夫は、苦笑して、心配も程々にしとかないと、胃痛は困るぞ、と言った。
「自分でやってみたことないから、分かんない分、不安になるんじゃないの?経験ないから。俺も、無いけどさ。」
「そうかも。」イメージわかなくて、余計に不安が募るのかもしれない…
実は、夫も私も、「小学校の修学旅行」は経験してないのだ。
理由は二人とも似たり寄ったりで、夫は、親の仕事の都合で、小学校六年生の時は、日本国内にいなかったから。
私は、日本国内在住だったけど、六年生の途中で、親の転勤にくっついて転校したら、新しい学校は修学旅行が終わっていた。前の学校で、まだ、行ってなかったのに。
逆パターンで、二回、修学旅行に行った人も、世の中には居るらしいから、私の場合は「不運なパターン」には間違いない。
両親も、仕事の都合とはいえ、娘が可哀想だと言って、私が六年生の時と、翌年に、転校前と後の、小学校の修学旅行先に、家族旅行に連れて行ってくれた。だから、一応、「その場所」は、「行ったことがある」。
でも「修学旅行」って、行き先より、「学校で行く、集団の活動」という側面の方が濃いよな…と思う。
「前例はあるじゃん。カヲルが行ってきたし、雄一っちゃんだって。お義姉さんから話は聞けたんだろ?」
「まあね。送り出し側の経験、って意味じゃ、そうだよ。」
確かに、全くの、ノーデーターではないのだけれど。
けれど…
「何だよ?」含みのある言い方だな?
「なまじ、「知らない方が良かった」って、悪い実例、ってのがあるじゃない。」げっそり…
「はあ?」夫は怪訝な顔をした。思い当たらないらしい。
腑に落ちない様子の夫を、お風呂、済ませてよ、冷めるから、と、ひとまず風呂場に追い立てた。
―あるんだよ、すごい「前例」が…
それが、血の繋がりの濃い、身内のヘマだと、頭も胸も痛む。そこはかとなく似たところが多い、兄弟、となると、チクチクどころか、立派に激痛だ。
そして、カヲルには「修学旅行中の迷子」の
前例がある。それも、「班別自由行動の最中」に。
―あれも、嫌な思い出よね…
カヲルは遥と違って、人の顔や服装を覚えるのは下手じゃない。しかし、小さい頃は、実に頻繁に行方不明になる「プレ迷子」を、起こしていた。
まだ保育園児だった、五歳の頃、姉と雄一と一緒に四人で遊園地に行った時、一日の内に三回も親とはぐれて、親だけが往生したこともあった。
トイレで待ってもらってる間、とか、昼食の支払いの小銭を確かめている間、ほんのわずか手を離した隙に、フラフラと興味を惹かれたものに引き寄せられてしまうのだ。
ふと、顔を上げると、居なくて、慌てて探し出したら、土産物屋の反対側で、怪獣のおもちゃを見つめていたり、外のアトラクションの音楽に合わせて、跳ねていたりした。本人は「迷子」の自覚がなく、勝手にフラついて、と、叱られると、不満そうな顔で黙ったまま、睨んでくる。
私には、そういうカヲルが、とても強情な子供に思えた。
本当は、性格なんかじゃなく、自閉系っ子の「メモリー事情」が原因だったのに。
カヲルは、周囲から一斉に感覚刺激を受けると、刺激に集中し過ぎる性質がある。賑やかな色や音、動き、を見たり聞いたりすると、目を奪われてしまい、今までしていた事や目的を忘れてしまうのだ。
人間の脳には、記憶の引き出し、と、記憶の棚、があるらしい。
棚は、ちょい置き用、引き出しは、保存用の「記憶スペース」だ。
パソコンで言えば、ワーキングメモリー、の役割をしてる、この「記憶の棚」、最近になって、定型発達児と、自閉系っ子は、どうやら少し、違うらしいとわかってきている。定型サイズより、小ぶりのものを備えた発達障害児が多いようだという。
定型っ子が、新型パソコン風の脳だとしたら、自閉系っ子は、生まれつきワーキングメモリーの容量が小さい、レトロ風パソコンな脳をしているらしい。機械と違って、増設なんか不可能だから、一度に大量の情報が押し寄せてくると、手持ちの容量で足りない場合、古い情報は、押し流されて、忘れ去られる。
その結果、やたらと不注意で忘れっぽい、という症状が発生するというわけ。
成長に合わせて、適切な訓練や経験を積むと、社会生活に支障ない程度の「忘れっぽさ」に収まってくれるんだろうけど、小さい頃は、そうでなくても好奇心が服きて歩き回っているようなもんだし、自分で、入ってくる感覚刺激を調節する術もないから、野放図に勝手気ままに、刺激から刺激へ次々に興味を奪われて、体力が続く限り、走り回ってしまってたんだろう。
幼児だった頃のカヲルは、スーパーで、公園で、いつも気ままに走り回って、親の視界から消え去り、私は探したり追いかけたりに、疲れ切っていたような気がする。
外から帰る車の中で、カヲルが眠ってしまうと、一人で車から抱っこで移動して、天使の寝顔を見ながら、疲れと徒労感で、一人でメソメソ泣いたこともある。
遊園地から帰宅した後は、全く言うことを聞かないカヲルに振り回されてクタクタだったのと、楽しみにしていただけに落胆が大きすぎで、帰るなり、荷物を放り出して、手放しで、声を挙げて泣いた。
カヲルが雄一みたいに、お行儀良く、一緒に楽しんでくれたら、と思って、遥を預けて出てきたというのに、全く予定外の展開で、育児に一気に自信をなくした瞬間だった。
泣きじゃくる私を見て、カヲルは初めて、「僕がお母さんを泣かせた」と、子供心にもわかったらしい。驚き慌てたカヲルが、一緒に泣きながら謝ってくれたから、とりあえずは収まったけど。
泣いてる時は、とても惨めで無力感で一杯な気分だった。頑張っても頑張っても、ちっとも願ったように、上手く出来ない自分が、最低親な気分になって。
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