蜘蛛
[四](1/3)
「おえっ、うぷ……げええぇっ」
「また吐いてるのかい……忙しい女だよねぇ」
 自分の手にに付いた達磨の血をハンカチで拭きながら嫌味を言う女。
「………………静かにして」
「……ああ、今日の舞台は面白かったねぇ、ありゃ傑作だった」
 紗綾の言葉を聞きもせず、ずらずらと今日の舞台を回想する女。あの左の女王様、絢音である。
「やっぱり達磨は人間使うのが一番に……」
 意地悪く、嘔吐を繰り返す紗綾の耳許でそう囁く。
「静かにしてよっ……うっ…………げええぇぇ」
「はははっ、面白い。……あんたさ、何でこんなトコにいつまでもいるんだい。さっさと逃げ出しゃ良いじゃないか。それとも、団長の寵愛はそんなに良いのか。馬鹿馬鹿しくねえのか」
 話を移していつもの様に紗綾を虐める。此れは絢音にとって快感を得る為の行いであり、生活の一部なのだ。下品に、執拗に、弱った紗綾を虐げることで無上の悦楽に浸れるのだ。其れはサディズムであった。
「五月蝿い。煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い。……貴女に何が分かるのよっ。あの人は私を見ないの。あの人は冷たい。あの人は紗綾ばかり視てる。私を視ないの。あの人は……」
 いつものヒステリックな言動。だがしかし、眼は据わった侭である。何より、言葉に「齟齬」が出来ているのだ。
「あの人は私を見ない。紗綾ばかり……。私はあの人を愛してるのに。紗綾ばかり。紗綾ばかり。紗綾ばかりっ」
「おい、あんた、誰だよ……おい、紗綾っ」
 絢音は其の奇怪な様に顔面蒼白となり、慌てて駆け寄る。
 いつもとは全く異なるのだ。紗綾の其の姿には微塵も快楽を得られぬばかりか、恐怖を感じるのだ。
 駆け寄って直ぐに、絢音は驚きの余りにどう、と大きく尻餅を突いた。
 覗き見た紗綾の顔は、恐らく自分の爪で引っ掻いたのであろう、抉れた傷が縦に伸び、狂気に眼球は最大限に上を向き、唇は歪みを持って笑っているのだ。
「アアアァァッ……はあ、はあっ……ギエェェェッ…………ううっ、ううっ、ううっ……はははっ」
 終に狂ったか、紗綾は怒りながら、哭きながら、しかし嬉々として笑っているのである。
 否、決して容姿は恐怖を感じる物ではない。「気」が違うのだ。
 今迄の、怯えや、苦痛や、憎しみが微塵も在りはしないのだ。何処か幸福に満ちた様な狂気がただただ一つ、紗綾の絹肌を包んでいるのである。

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