世話焼き後輩とダメ先輩
きっかけ編

 中学への通学路に、その高校はあった。
 角に信号があり、大きな道路と交差していたから、彼はしばしばそこで自転車を降りて赤信号が変わるまで待っていた。丁度、信号の近くが野球部の練習スペースらしく、よく少年達の声や金属バットが硬球を打つ音が聞こえてきた。

「声出せ声ー!」
「次セカンド!」
「はいっ!」
「あーこら、下手くそっ」
「監督が下手なんだよ!あんなもん捕れるかー!」
「何をぅ!?」
「ぎゃー!ごめんなさいごめんなさいっ!」

 …元気はいいが、あまり上手くはないようだ。
 おまけに、何度も聞いているうちに気付いたが、どうやら声を出しているのは特定の三人くらいらしい。一人は監督らしき大人の声なので、まともに練習しているのは…

「…チームとして成立してんのか?…いや、まあ、野球なんてどうでもいいけどさ」

 誰にともなく言い訳をしてペダルを漕ぐ。

 もう野球になんて関わりたくない。もうあんな理不尽な目には遭いたくない。もう…

「…」

 …でも。
 本当は好きだって、わかってるんだ。だから彼らの楽しそうな声に、どうしようもなく惹かれてしまう。

 後ろ髪を引かれるような思いをどれだけ繰り返したか忘れたが、その年も夏が来た。
 元高校球児の父が取っておいたらしい県大会の出場校と選手の一覧を見ると、例の高校の部員は十五人。そんなに練習しているとは思えないので、幽霊部員がそれなりに居るのだろう。

「…ん、何だ要、興味あるのか?」
「!!」

 父が少し嬉しそうに話し掛けてくる。彼が野球をやめた時、一番残念がっていたのはきっと父だった。
 彼は慌てて新聞を放り投げ、外方を向く。

「な、何でもないよ…」
「…そうか」
「…」

 残念そうな声だった。

 …俺だって。
 俺だって、本当は…

「…父さん」
「うん?」
「…桜高って弱い?」
「すぐそこの?」
「そう」
「うーん…確か最近共学になったとこで、運動部はあまり強くないみたいだ」
「…」
「まあ、たまに練習の声聞く限りでは雰囲気は良さそうだけど…人は少なそうだな」
「…」

 …あそこなら、ちゃんと楽しく野球が出来るだろうか。
 監督が親の言いなりだったり、大して上手くないのに金だけ持ってる奴がレギュラーになるようなチームじゃ…ない、よな…どう考えても。

「…十八人居ないなら」
「ん?」
「入っただけでベンチ入り出来そうだなって思っただけ」
「…そうか」

 何故か、父は少しだけ明るい声で苦笑した。


 …それから二年後の春。
 彼は桜高のグラウンドの片隅で、あの声の主と出会う。

 それは、彼がどうしてももう一度野球をやりたくなってしまった元凶。
 威勢の割りに下手で、後輩にやたらと偉そうで、モテたがりでヘタレで器が小さくて…でも、誰より野球が大好きな二塁手。

 彼はその先輩と衝突しながらも、共にやる気のないチームの改革を始める。
 夏の地方大会、初勝利を目指して。

「…いいかお前ら。一回だけでもいい…まぐれでもいい、格好悪くてもセコくてもいい!俺達は、ぜってー勝ってから引退すっぞ!」
「おうっ!」

 …その結末は、また別のお話。

きっかけ編
或いは野球少年の春
おわり



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