偽装恋愛
■[cut.【15】](1/40)
「おはようございまーす!」
歩きなれたスタジオの廊下。
普段より、ほんの少しだけぎこちない足取りで歩いていると、通りすがりざまスタッフの一人に声をかけられる。
「あ、おはようございます……っ」
条件反射で笑顔を貼り付け、足を止めて会釈をすれば、今度は不思議そうな表情で小首を傾げられてしまった。
「あれ? 朋恵ちゃん、今日は撮りあったっけ?」
それもそのはず。
彼の言うとおり、今日の私は仕事でここへ来た訳ではないのだ。
「い、いえ! 近くに用事があったので、ついでに差し入れを持ってきたんです。翼くんに渡しておきますから、皆さんで食べてくださいね」
嘘くさくならないよう、あらかじめ考えていた言い訳をそつなく口にする私。
本当の目的は別にあるけれど、差し入れを持って来たのも偽りのない応援の気持ちだから。
手に持った紙袋をさり気なくアピールすると、途端にスタッフさんの顔が嬉しそうに綻ぶ。
「ありがとう、みんな喜ぶよ。翼君なら丁度さっき休憩に入ったばかりだから、楽屋にいるんじゃないかな」
「はい、じゃあ……早速、挨拶してきますね!」
さすが伝家の宝刀、松月庵のイチゴ大福。
この近辺では有名な和菓子の老舗で、私自身もお気に入りの一品なのだ。
差し入れは本当についでのついでだったけれど、こんな風に喜んでもらえるのはやっぱり嬉しい。
そんなご機嫌な気分で廊下を直進した私は、ご機嫌なまま楽屋のドアを軽やかにノックする。
そして、そこでふと我に返ったのだった。
「――あ」
いや、こんなに浮かれている場合じゃ……。
それよりも、まだ翼くんをどう説得するかすら決めていない。
固く固く決心だけかためてはいたものの、具体的な話し合いの内容については、スタジオについてから考えようと思っていたのである。
けれど、それは時すでに遅しという訳で。
「珍しいお客様だね? そんなとこで百面相してないで、入りなよ」
嘆く暇もなく開け放たれたドアの向こう、翼くんの愉快そうな眼差しにあっさり捕らえられたまま、私はスゴスゴと室内に足を踏み入れたのだった。
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