このところ一月ほど晴天が続いていたのだが、本日、とうとう雨が降った。 「おぉお……土砂降り」 「降ってるのはただの水に過ぎないのに、それを最初に〈土砂〉と表した人間は素晴らしいね」 生徒がたくさん立ち往生する昇降口。野々田はぱちんとケータイを閉じて呟いた。 天気予報も外れるような突然の雨で、傘のない生徒が多いのだろう。わらわらと大量の少年少女が右往左往している。 中には雨に打たれるのを覚悟で飛び出して行く者もあったが、そんな勇気があるのは数えるほどしかいなかった。 「僕、幸運なことに置き傘があるけど。入ってくか? 野々田」 「いや、気持ちだけで充分だよ」 いつもと同じ長く垂らした髪を揺らし、彼女の目はこちらを見た。 眼鏡を変えたらしい。アンダーリムの眼鏡は知的な印象を強く演出した。 「もう母親に迎えをお願いしてしまったからね」 「残念」 「君が残念だと思ってくれることがお兄ちゃんは嬉しいよ」 「……もう突っ込まないぞ」 「やだ、意地悪」 茶化すように口角を上げて、野々田は甘えるように身を寄せる。 こんなふうにしてくっつかれるのは暑いけれど、あっさりと身体を離させるのも勿体ない気もした。 「じゃ、僕はそろそろ帰るよ。また明日」 「あー! ちょっと待ってよ逸仁くん!」 格好良く去ろうと片手を上げたら、媚びたような高い声が追い掛けて来た。 振り向けば、うさぎみたいなツインテールをした花折が子リスみたいにちょこちょこと走り寄って来ていた。 小動物っぽいというか、小齧歯類っぽい動きだな。 「逸仁くんひどいよ! なんで一緒に帰ろーって言ってくれないの?」 「……おお、花折か。野良犬かと思った」 「何その勘違い……! わたしの何処が野良犬に見えるの!」 ぶんぶんと手を上下させながら、花折はそう抗議した。 低い目線から僕を見つめる様子は可愛らしい……じゃなくて、いや、可愛いけれどそうじゃない。これの性別を忘れるな。 僕の混乱した心中を察したように、野々田は僕の方に目をやってから少し笑った。 「綴は今日、日直だったね。日誌書いてきたの?」 「うん。あ、いいんちょの書いた日誌、面白かったね」 「そうだった? ありがとう」 小さな背丈で最大限の感動を表そうとする(つまり身振り手振りが大きいわけだ)綴を最高級の慈愛で以て、野々田は見つめた。 最高級ではあっても最大限じゃない。ここの違いは重要だ。 「ほら、綴。今日は水泳もあって疲れただろう? 少年におぶってもらったらどうかな」 「え、う、にゃー……いいよいいよ、歩いて帰るよ。重たいと悪いもん」 「……どちらにせよ、僕と一緒に帰るってのは大前提なんだな」 きらきらと華やかな笑顔で野々田を見上げて、花折は媚びたような態度をとる。 どうやら花折は、野々田に対して尊敬の念を抱いているらしい。「顔も性格もスタイルも良い、しかも眼鏡。俺のど真ん中ストライク」とのこと。 一方で野々田も花折が男だと分かってからは、以前にもましていっそうこいつを可愛がるようになった。 羨ましいという感情が、ないとは言いきれない。 「じゃあそろそろ帰ろうか、逸仁くん。おんぶして?」 「結局おんぶしなきゃいけないのか……」 はあ、と溜め息を吐いて、仕方なく小さく軽い花折をおぶって帰路についた。 |