笠村拓夢(かさむらたくむ)は、黒い手帳を見ながらフゥ…とため息をつき、喫茶店の椅子に深くもたれかかる。
手帳には、彼の字がびっしりと記入されている。所々、赤い文字や印が目立っていた。
どれほど書いてきたのか。
何度確認したのか。それは、手帳にしかわからないであろう。それほど、彼の手帳はくたびれていた。
書かれている内容は、笠村と彼の先輩である稲垣雅史(いながきまさし)が請け負うことになった先日起きた殺人事件についてだ。 すぐに解決するだろうと思っていたのだが、それが意外にも証拠が出てこないうえに多額の保険金がかけられていて、それを誰も知らなかったくらいしか情報がなくて、捜査が思うようにいかないのだ。
「笠村。今、昼休み中だろ。」
「…あ。稲垣さん……。」
顔を上げると、少しポッチャリ体系の男…稲垣が立っていた。
稲垣はなんのためらいもなく笠村の向かいの席に座る。
「休めるときに休んでおけ。体がもたんぞ。」
「稲垣さん……どうもわかんねぇんですよ。あんな派手な殺され方されといて、証拠が少ないなんて……。」
「恐らく、犯人は保険金を狙うために、慎重に計画的に犯行したんだろうな。だからこそ、証拠がない。」
稲垣は、ウエイトレスにコーヒーを注文をすると、渡されたおしぼりで手を拭き顔を拭った。そしてハァ…と深く息をつくと……
「…こんな時、『彼女』がいてくれたらな……。」
と途方にくれるかのように呟いた。
「彼女?誰のことっすか?」
笠村はその言葉を聞き逃さず、稲垣に尋ねた。
「ああ。」と声を漏らした稲垣は、軽く畳んだおしぼりを置きながら答える。
「そういえば、お前は知らなかったな。藍里ちゃんのこと。」
「あいり?」
聞き慣れない名前に首を傾げる笠村。
女刑事の名前なのだろうか…?
稲垣の呼び方からして少なくとも、稲垣よりは年下だと容易に伺える。
笠村がもう少し話を聞こうとした所で、稲垣の携帯電話が鳴り響く。
「おっと……上からだ。悪いな。笠村。後で。」
一言断って稲垣は少し席を離れて電話にでる。
一人残された笠村は再びコーヒーを口に含むとフゥ…と一息つく。