ESCAPE
 [ ESCAPE](19/40)
(U)



 上った時と同じで、螺旋階段は強い風に揺れていて、注意しないと抜け落ちた所に足を取られそうになる。

 繋いだ手に、無意識に力を入れてしまう。離れてしまわないように。

 鈴宮は階段を下りる間、何も喋らなかったけれど、俺の手を強く握り返してくれていた。

 1階に着いて、手摺を俺が先に乗り越えて下に降りる。

 後から、手摺に足を掛けてよじ登り、飛び降りようとする鈴宮へ両手を差し出せば、戸惑いがちに俺の肩に腕を回した。

「帰ろうか。車、裏門に置いてあるから、こっち……」

 軽い身体を抱き下ろし、そう言って、俺は先に歩きかけた。けれど、鈴宮は階段の前で立ち止まったまま、動こうとしない。

「……どうした?」

「……先生のところに帰ってもいいのかな」

「当たり前だろう? 他に何処へ行くと言うんだ? 朝起きた時に君が居なくて、俺がどれだけ心配したか」

 明日までには迎えが来るのだろうけど、それまでは俺が傍に居てやりたい。……それに、実の父親という人に、本当にこのまま渡して良いのかも、まだ分からない。

「だけど僕は、そんな風に思ってくれる先生のことを、また利用してしまうかもしれない」

 そう言って、鈴宮は俺から僅かに視線を逸らした。

 自信がなさそうな声音は、さっき俺がキスをしたせいなのか。
 
「いいよ、利用しても」

 屋上のフェンスに登っていた君を見つけた時、届かない処へ行ってしまいそうで、目の前から消えてしまいそうで、胸が苦しくて息ができなかった。鈴宮の気持ちが俺に向いていなくても、俺がちゃんと愛しているから。それでもしも、鈴宮の気持ちが少しでも救われるのなら。そうすることで、君が進むことが出来るのなら。

 だけど、鈴宮は俯いて首を横に振る。

「今までずっと、父さんにだけ愛されたいと、それだけを願っていたけど。昨夜先生に、父さん以外の人を愛してもいいと言われて気が付いたんだ」

 ――僕は、どうやって人を愛せばいいのか、分からない。

 と、言葉を続け、鈴宮は躊躇いがちに視線を上げる。

「……先生は僕を愛してるって言ったけど……、僕は、愛って何なのか、よく分からない」

「……愛って……理屈じゃないよ」

 鈴宮の疑問に、はっきりとした答えなどきっと無い。俺にもそれ以上のことを、どう言葉にすれば良いのか分からない。

 鈴宮は、細く長い息を吐き、胸に両手を当てて、おずおずと目線を俺に合わせる。

「だけど、さっきキスをした時、ここが暖かくなったのは、どうして? とても嬉しい気持ちになったのは、僕も先生を愛してるから?」

 その言葉に、俺は胸が熱くなる……。だけど、それは多分違うのだろう。鈴宮が、俺を愛しているからじゃなくて、きっと……、

「それは、きっと俺が君のことを愛していると、心から想っているからだよ」

 気持ちを相手に伝えて、それを相手が受け止めて、そして同じだけ返してくれればもっと良いのだけれど……。

「じゃあ、もっと僕に教えてよ。……先生の愛を」

 鈴宮の声は弱々しくて、今にも消え入りそうだった。

 人を愛することにも、愛されることにも慣れていなくて、それを知るのが怖いのかもしれない。

 俺は、階段の前から動かない鈴宮に歩み寄り、そっとその手を握って応えた。

「……いいよ」



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