ESCAPE
05[陽炎](43/48)



 *****


 鬱陶しい雨の季節も、もうすぐ終わる。

 一階の庭に面した広縁の窓を開け放つと、時折爽やかな風が家の中を通り抜けていく。

 今日は空が高い。

 僕が小学校に入学した記念に植えた、庭の桜の木の濃い緑の枝葉が、青い空に美しく映える。

 すっかり成長して逞しく眩しい姿で、あの夏の日から前に進めない情けない僕を見下ろしている。 

 廊下を歩いて、一番東奥の書斎の前で足を止めて、ドアノブに触れてみる。 ドアには鍵が掛かっていて、開ける事は出来ない。

 そして、その隣の寝室の、中から書斎に入る事のできるドアにも鍵が掛けられていた。

 父さんは留守にする時、書斎に鍵を掛けるのは、いつもの事なんだけれど。

 カーテンを閉め切った薄暗い寝室で、ひとつ溜息を零して、父さんのベッドに横になった。

 もう、すっかり父さんの匂いもしないシーツ。

 だけど、部屋の中には、なんとなくまだ、父さんの匂いが残っている。

 きっと、閉め切ったままの書斎なら、もっと父さんを感じることが、できるはずなのに。


 ―― 早く帰ってきて…… 抱き締めて欲しい。


 誰からも必要とされない僕でも、せめて父さんにだけは、ほんの少しだけでいいから、必要とされたい。

 そのことを、身体で心で実感したい。



 父さんのベッドで、少しうとうとしかけていると、静かな家の中に、玄関のインターホンの音が響いた。

 そういえば、今日は朝からタキさんの姿が見えない。


 ―― 買い物にでも行ったのかな。


 そう思いながら、訪問者のことは無視して、やり過ごそうと、もう一度目を閉じた。

 だけど、催促するように鳴る二度目の音が家の中に響いて、仕方なく起き上がり、玄関に向かう。


 ―― もしかして、父さん?


 いつもなら、父さんは自分で鍵を開けて入ってくるはずだけど。 もしかしたら…… と思うと、心臓が壊れたようにドキドキしてきた。

 だけど、玄関の引き戸のガラスの向こうに映る人影は、どう見ても、父さんの影ではないと分かってしまい嘆息する。


「どちら様ですか」


 あまり確認もせずに、玄関に下りて引き戸を開けてしまい、目の前に立つ人の姿に驚いてしまう。

 ―― 全く予想していなかったから。


「…… 伊織」



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