ESCAPE
05[陽炎](24/48)



 *****


「どうした? なんか顔色悪いぞ、伊織」

「…… 別に…… なんでもない」


 昼休み、数学準備室から戻ってきた僕を見て、慎矢は心配そうに顔を覗き込んでくる。


「佐々木先生、何の用だったんだ? 昨日も放課後呼ばれたんだろ?」

「…… うん、僕が週末課題を、ためていたから、それで……」

「あっ、だから俺が言っただろ? プリントやったかって。 結局やらないといけないんだから、ためないようにしなきゃ駄目じゃん」

「…… そうだね」

「てか、早く弁当食べないと、もう時間ないぞ?」


 もうすぐ五限目の授業が始まる。


「ん…… あんまり食欲ないから、いいんだ」


 自分の席に着いて、教科書を机の上に出した。

 なるべく、普通に振る舞おうとしているのに、慎矢は僕の微妙な変化に気付いたように、また顔を覗き込む。


「…… 何?」

「何って、食欲ないなんて、どうしたんだ? 今日は朝から少し変だったし、熱でもあるんじゃないか?」


「―― ッ ……」


 心配そうに僕の額に触れようとする慎矢の手を、咄嗟に払い退けてしまった。


「どうした?」

「…… ごめん、なんでもないから。 熱なんてないから」

「でも……」

「本当に…… なんでもないから」


 まだ何か言いかける慎矢の声を、遮るようにそう言ったところで、授業開始のチャイムが鳴った。

 先生が教室に入ってきて、皆、席に戻っていく。 慎矢も不思議そうな顔で、僕を見ながら席に着いた。

 慎矢の視線と、もう一人…… 教壇からは先生の、冷ややかな視線を感じる。

 五限目は数学。

 さっき慎矢に触れられそうになっただけで、身体の熱が一気に上がった。

 放課後まで耐えられないかもしれない。


 ――――――


 昼休み、僕は約束通り、数学準備室のドアをノックした。 一問も、解いていない週末課題のプリントを持って。


『プリント、ちゃんとやって来たか?』


 ドアを開けて中に入るとすぐに、窓際のデスクの前に座っている先生にそう聞かれて、僕は、『いいえ』と応えた。

 先生は、笑っていた。


『じゃあ、一緒に解いてみよう。 ドアを閉めてこちらへ来なさい』

『…… はい』


 ドアを閉めれば、昼休みの喧騒も遠くなった。

 教室からも、他の準備室からも遠い、隔離された四階の一室。


『何度言ってもやって来ないなんて、伊織は何を期待してるのかな』

『…… 何も』

『すぐにそうやって嘘をつく。 今日はお仕置きをしないとね』


 そう言って、いつもの無表情な瞳で見下ろされ、冷たい指が頬から首筋、胸を辿り、更に下へと下りていく。

 細くて長い指が、ベルトを緩めズボンの前を寛がせていくのを、 僕は…… 身動きもせず、ただじっと見ているだけだった。




- 173 -
前n[*][#]次n
⇒しおり挿入
/326 n
←TOP
HP

▼ESCAPE番外編『かりそめ』

▼『出逢えた幸せ』SS集

⇒作品レビュー
⇒モバスペBook

[編集]

[←戻る]