ESCAPE
03[欺瞞](34/44)





 あんなに嫌だったはずの煙草臭いキスも、繰り返しているうちに慣らされてしまう。

 深いキスを交わしながら身体を繋げれば、その行為がまるで恋人同士のそれのように思えた。

 自分のことしか考えていないような乱暴なセックスだったのに、僕の身体を撫でる指を、抱きしめている腕を、優しいと思ってしまう。

 あんなに憎んでいた男を愛して、愛されてるような錯覚をしてしまう。

 男も僕も、ただ欲求の吐け口として、お互いの身体を利用しているだけなのに。

 父さんが帰って来ない家が寂しくて、学校にも居場所を失くしてしまった僕にとって、今はここだけが、独りじゃないと思える場所だったのかもしれない。


 **


「伊織、送ってくから、早く服着ろよ」


 すっかり身支度をして、出かけようとしている男が、なかなかベッドから動こうとしない僕を急かす。


「…… ねえ、今夜、泊まっちゃダメかな」


 ―― 寂しいんだ。


「え? 何言ってんだよ。 そんなことしたらお手伝いさんが心配するんじゃねえの」


「タキさんなら、遅くなるって電話しておけば、時間になったら帰るから大丈夫」


 ―― 独りぼっちの夜が寂しくて仕方ないんだ。


 男は、ちょっと考えて、首を横に振る。


「駄目だ。 今夜はさっきの女のビデオ編集しておかないといけないし」


「僕、邪魔しないよ」

「その後、仕事で出かけなきゃいけないんだよ! だから駄目」

「また女の子連れ込んで撮影するんだ?」


 僕がそう言うと、男は少し驚いたような表情をした。


「お前…… もしかして、妬いてんの?」


 言われて顔が熱くなるのを感じた。


「…… 妬いてなんかない」


 赤くなった顔を見られたくなくて、僕は男に背を向けて制服のシャツに袖を通して、ボタンを止めていく。


「お前、バカか」


 不意に後ろから、抱きすくめられた。


「いくら俺でも、お前に吸い取られてもう空っぽだって」

「離してよ。 ボタンがとめれない」


 男が僕のことを、どう思っていたのかなんて分からないし、僕も男のことを、どう思っていたのか、自分でも分からない。

 ただこの時は、男が僕以外の誰かと、夜一緒に眠るなんて想像するだけで、何故か悲しかったような気がする。


 **


「お前、いつも俺んちに来る時間早いけど、ちゃんと学校行ってんの?」


 家に送ってもらう途中、車の中で、男がそんなことを訊いてきた。

 男にとっては、どうでも良い事には違いなくて、ただ意味もなく訊いてみただけなんだろう。


「行ってるけど、アンタんちに行く日は早退する事が多いよ」

「中学くらいちゃんと行っておけよ。 友達だっているんだろ?」

「…… うん」


 友達だなんて言葉、男の口から出てくるとは思ってもいなかった。


「アンタは、友達いるの?」


 僕の問いかけに、男は鼻で笑う。


 ―― 大人になったら、周りは敵ばかりだよ。


 煙草の煙を吐き出す為に薄く開けた窓から外の喧騒が流れこんで、男の声はよく聞き取れなかった。



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