ネオヒューマン
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廃屋の中は完全に荒れ果てていた。
やっと説教が終わり、淵野辺は廃屋の中に通されていた。
中は割りと広い。
ラーメン屋だったのかもしれない。
全体的にくすんだ赤い色合いでまとまっている。当時はもっと明るい色調だったのだろう。
L字型のカウンターがあり、周りには恐らくテーブル席があったであろう少し広めのスペースが広がっている。
もちろんテーブルやイスなどは残ってもいない。
床も壁も、所々内装が剥げている。
カウンターの奥には、なぜだか未だに寸胴鍋が放置されていて、往事を偲ばせる不思議な哀愁が漂っていた。
しかし、その哀愁も一瞬で吹き飛んだ。

「ここに飛び込みなさい」

いつしか口調が、完全に教師のそれとまったく変わらなくなっていた。
淵野辺は立花同様、この長身細身の男から生徒認定されたらしい。

「は? 飛び込め?」

淵野辺は本気で困惑していた。
教師の頭がおかしくなってしまったのではないかと、疑わざるを得ない。
長身細身の男は寸胴鍋を指差している。

「いいから、さっさとサカさんの言う通りにしてよ。また機嫌悪くなっちゃうからさ」

立花が淵野辺に近づいて耳打ちした。

「何か言いましたか? 立花君」

「いえ、坂巻先生! 何でも御座いませんです!」

立花は軍人のように、姿勢をただして敬礼した。

「ふざけているのですか?」

「そんなわけないじゃないですか。ビギナーのフッチーさんに先輩として、サカさんとどのように付き合っていけばいいのかを...」

「私が何か?」

「い、いえ。何でもありません」

冗談が通じないと言うのは、冗談しか言えない人間にとって、あまりにも酷すぎる。さすがの淵野辺も、立花を見ていられなかった。

「あなたもわかっているとは思いますが、まさかこの廃屋の表の姿だけを見て、ここがネオヒューマンの秘密基地だなどと、勘違いしたりしてはいないでしょうね?」

坂巻の鋭い視線が淵野辺に飛んでくる。
どうやらネオヒューマンには、知力も必要らしい。
淵野辺はそのスキャナーのような視線から早く逃れたかったのか、「も、もちろん」と適当に相槌を打った。
知力を見透かされているような気がして気持ちが悪かったのだろう。

「だったら早く」

坂巻は相変わらず寸胴鍋を指差している。
立花も背中を押して淵野辺を急かしていた。

「飛び込めって言ったって...」

確かに寸胴鍋はかなり大きめな造りで、人が一人入れる分の大きさはあった。
淵野辺は中を覗いてみた。
しっかり継ぎ目のない底が、淵野辺を見上げてくる。
淵野辺は、底が抜けていて地下に繋がっているのかと思ったが、そうではないようだった。

「飛び込めばいいんだな...?」

「そうです。早くなさい。思いっきり飛び込むのです」

淵野辺はここにきて、急に自分が騙されているのではないかと気になり出した。
こんな寸胴鍋に入って、何も起こらなければ、滑稽も滑稽。
とんでもないシュールな絵が描かれるだけだ。
潰れたラーメン屋の寸胴鍋に飛び込む男。しかも、見たところ底は意外と浅いので、胸から上は飛び出るだろう。
そんなところを写真にでも撮られたら屈辱的だ。
淵野辺はもう一度、二人の目を見やった。
しかし、そこからは真剣な眼差しの他、何も読み取れるものはない。

「じゃあ、行くぞ...」

淵野辺は決意を固めるしかなかった。これで何も起こらなかったら、せめて立花だけでも泣かしてやろうと心に決めたようだ。


「せ〜の!」

立花の掛け声が掛かる。
淵野辺は寸胴鍋の縁に手を掛けて、身体を持ち上げた。そして、ついに淵野辺が寸胴鍋の中に飛び込んだ。

ガツン。

金物のような音が響いた。
淵野辺は寸胴鍋の中で身を強張らせている。静かな時間が流れた。
淵野辺が二人を見つめる。
二人も淵野辺をみつめている。

「...」

「...」

「...」

「...いや、何も起こらないのかよ!」

淵野辺が思わず突っ込んだときだった。

ガシャッ!

ベコッ!

淵野辺の頭上で物凄い音がした。

「痛っ!」

淵野辺の頭に換気扇の羽が急に落っこちてきた。

「な、何だ...!?」

シュルルル...シュゴッ...

何かが点火されたような音だった。

「何だよこの音は!?」

淵野辺は二人を見た。
二人の顔には笑顔が見えた。

「...おい? おいってば...?」

淵野辺は嫌な予感がして、ゆっくりと頭上を見上げてみた。
するとそこには、羽の取れた換気扇が、真っ暗な口を開けて待っていた。

シュゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

「おわあああああぁぁぁぁぁ...!!」

淵野辺は思いっきり頭上の換気扇の中へと吸い込まれていった。

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