戦うのに右手は必要か

[いっしょ](1/1)



 冬は、冬という名前がとても似合っている。その心はいつも冬のようにきりきりとして痛いくらいに澄んでいる。悲しいけれど、そのぶん美しい、真っ白さ。そうして冬の色は白ではない、玄色。




 畳の上ではいつも一人きり。いや、相手と二人きり。


 悲しいけれど嬉しい、早く終わってほしいけど終わってほしくない、いつも私の視界を狭くさせる試合場。
 勝つことを正直あまり願っていない私は、この時間の息の詰まる瞬間が好きなようで嫌いなようであった。相手の汗の暖かさを感じるほど神経は研ぎ澄まされているというのに。

 勝てよ。そう思いつつやっぱり何も望まない。そっちこそ勝てよ。あぁ、私の柔道はいつだってあほだ。柔道から逃れられないくせに、相変わらずあほうだ。




 行事は体育系以外すぐさぼる。打ち上げには絶対顔を出さない。人とあまり接さないくせに二人には信頼に似た感情を常に周りは寄せていた。しかしお互いしかいないとでも思っているかのような二人の世界に、周りはやはり一線を置いてくれる。
 これがもしどこかの不良高校だったらいじめられても仕方のないような気もするが、生憎周りは賢い人間ばかりであった。いじめなど、無益で無意味な行為は中
学校で終わってしまった。


 二人とも頭はかなり回る方であったため面倒くさくならないように人の心を掴む方法はとっくに心得ていた。


 スポーツ万能で練習は不真面目だが試合では活躍してムードメーカー。どのグループとも深くは付き合わないが浅く広く付き合うため、その分グループ内では相談できないようなことを持ち掛けられたり、愚痴られたりする。そのように周りから明るく元気で誰にでもなつき、決して人の悪口を言わない二人は周りから奇妙な信頼を得、人に極力接さなくとも怪訝に思われることなく、許されたのである。そう、許されたのだ。


 二人の世界にいることに。





 冬の気配がひしひしと伝わって来る。今日も二人以外の部員は顔を見せることなく自主練を終えようとしていたところに顧問が戻り、寝技の研究をさせられたためいつもより終わるのが遅くなってしまった。



 元々ここのOBで去年からこの学校に赴任してきた安藤先生は大学を出たばかり。行事には真っ先にかりだされてしまうため運動会近くなった今ほとんど道場に来ることができない。本当は、応援団なんかより柔道をしてもらいたいのだろうけど、自分が来れない分何も言わなかった。だから運動会そっちのけで練習する私たちのために先生は暇さえあれば顔を出してくれていた。



「全く、有難迷惑な。早く切り上げようって思ってたのに、その挙句寝技させるなんて」


 冬は下駄箱からナイキのごついハイカットスニーカーを取り出して地面に放り投げる。麻季はすでに外で待っていた。


「それー、せめて立ち技にしてほしかったー。まぁ寝技最弱だししょうがないけど」
「寝技って一体なんなんだろう…」



 二人とも立ち技は大好きであったが寝技はからっきしであった。努力すれば誰でも上達すると言われているため、東大や京大では大学から柔道を始めたら者たちで寝技だけの大会が開かれているそうだ。体育大ですら彼らの寝技に負けたりするらしいのだから寝技は上達しやすいのだろう。だがどうもあのごちゃごちゃとした感じが二人に苦手意識を埋めこんでいた。


「先生めちゃくちゃ呆れるからやなんだもん、下手くそすぎるから。努力しなきゃねー」
「でもなんか寝技するんだったら立ち技だって思っちゃうよねー。だめだなぁ」


 ぽりぽりと汗で湿った頭を冬が掻きながら麻季の元へと小走りに駆けていく。空はもうすっかりふけこんでいた。
「ご飯どうしよっか。塾まで時間あるし。また定食屋さん?」
「うんっご飯おかわりしなきゃっ」
 らんらんと目を輝かしながらガッツポーズを掲げる冬の隣を柔らかい笑みを浮かべた麻季が歩いて行く。



 いつもどおりの二人の帰り道。

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