喰らう者
fragment.4[ストロー・ハット](1/5)
――夜
「いらっしゃいませ」
静かな店内に来客を告げるベルが鳴る。店主は磨いていたグラスから視線を移し、口を開いた。
黒を纏った来客は店内を見回しながら、カウンターへと腰掛ける。
「他の客は?」
狭い店内にはインと店主以外に人がいなかった。街は喧騒で溢れかえっているというのに、なんとも寂しい光景だ。
その問いに店の主は手を動かしながら、にこやかに答える。
「こんな小さい店では収まりきりませんよ」
閑古鳥が鳴いているというのに、穏やかに微笑む店主。頬杖をついたインは横目で店内を見、それもそうかと納得した。
吸血鬼が始末された。
それは住民達にとって、吉報以外の何物でもない。昼間は祭りのようにあちこちで活気に溢れていたし、きっと今夜は朝までどんちゃん騒ぎだろう。今まで籠もっていた分を取り返す勢いで。
「ここと違って、大きな酒場があるんですよ。そこで盛り上がっているんじゃないですかね」
店主は曇りなく磨き上げたグラスを満足げに見つめ、次の物を取る。慣れた手つきで繰り返される作業を見ながら、インはこの街で唯一の顔見知りを思い出した。
「昨日のおっさんもか?」
また一つ、磨かれたグラスが増える。視線を上げることなく、店主は答えた。
「あの人は、それこそお祭り好きですから。きっと騒ぎの中心にいますよ」
「ふぅん」
自分から聞いたというのに、インは興味なさ気な反応を返した。それに気分を害することもなく、店主は微笑んだままだ。
最後のグラスが磨き終わったのを見計らい、インが口を開く。
「ウォッカくれ」
「はい」
出されたのは、昨夜と同じ無色透明の液体。それをインは一気に飲み干す。
「今日は血塗れじゃないんですね」
空になったグラスを見つめ、店主は問いかける。ブラッディ・メアリーになぞらえたそれに、インはただ肩をすくめた。
「ラスト一個だからな。まだ使いたくねぇんだ」
「なら、私が何か御作りします」
そう言って、店主は背を向けた。少しの間の後、振り返って差し出された赤い飲み物。微かに立ち上る泡は、話題に上がっていたカクテルとは違う。
「貴方をイメージして、作らせて頂きました」
その言葉に、赤い液体を映した紅眼が細まる。
「……なるほどね」
細長いグラスを傾け、一口含んだ。
「まぁ、悪くないな」
「それは良かった。何か食べますか?」
「いや、もう食べたから良い」
もう一口飲み、グラスをテーブルに置く。赤が店内の明かりを受け、彩度を増す。
「味は微妙だったが、量だけはあったからな」
辛辣な言葉に、店主はただ苦笑した。インはグラスから目を離さず、頬杖をつき、手の平で顔の半分を隠しながら呟く。
「おかげで、また直ぐに飢えそうだ」
自分にだけ聞こえる声は、店主の耳には入らない。隠された表情は、誰の知るところでもない。
残りを一気に呷り、インは立ち上がった。
「じゃ、ご馳走さん」
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