喰らう者
fragment.3[エル・ディアブロ](1/4)



 件の街から数十キロ離れた所に、森があった。

 どこまで広がっているのかわからない、広大な森。そこは咽かえるような緑の匂いに包まれ、重なり合った木々によって日光が遮られていた。

 無造作に伸びた枝は、薄暗い森を不気味に演出している。もはや森というより樹海に近い。近隣の者達には、一度入った者は二度と帰って来ないと言われており、誰一人として近付こうとしない場所。

 それ故、誰も知らなかった。生い茂った森の中に、一部開けた場所があることを。そこに一軒の館があることを。

 レンガ造りの壁は崩れた箇所も欠けた箇所もなく、最上級の質を保っている。かといって新築なわけでもなく、それなりの年月を重ねた色合いは館の格調を高くしていた。

 そして忘れてはならない物。館の中で最も目に留めるべき場所は、なんといっても広い庭である。自然の赴くままに成長した周りの森とは違い、計算とセンスによって構築されたバラ園。赤、白、黄色、桃。様々な色のバラが咲き誇る様子を見て、感嘆の息を漏らさない者はいないだろう。

 そんな美を極めた園に、一人の青年がいた。

 人目で仕立ての良さがわかる濃紺の上着を羽織った、貴族風の青年。すらりとした長身に、肌は白く透き通り、切れ長の翡翠の瞳は湖面を思わせる。

 だが、周りの美しき色彩達は引き立て役でしかない。青年の中で、一際目を引く輝き。

 金。

 鎖骨まで伸ばされた眩い金糸が、朝日さえも跳ね返して輝いている。

 美しき花園と美の化身と評するに相応しい青年。これ以上ない組み合わせだが、青年は花を愛でてはいなかった。

 右手に握られた鋏。バラを一つ一つ吟味しながら、一本一本丁寧に摘み取っていく。瞳と同じ色に塗られた爪が、朝露に濡れた花弁に触れ、なぞる。

 その瞬間、鋭い痛みが指先に走った。見れば、人差し指に血の珠が浮かんでいる。棘が刺さったのだろう。

 白いキャンパスに落とされた、一点の紅い染み。

 青年は痛みに顔を顰めるでもなく、そこを舐めた。舌先に鉄の味が広がる。舌を離せば、もうそこに傷はない。あるのは滑らかな白磁の肌だけ。

 そう。青年の口元から覗く牙と同じ、白だけがそこにあった。

 一通りバラを集め終えた青年は、花園を後にする。

 そのとき、一陣の風が吹いた。思わず足を止めた青年の髪を乱し、花弁を揺らす。青年は頬にかかった髪を鬱陶しげにかきあげ、耳にかけた。

 露になる左耳。そこに光る、青の輝き。

 頭の上に広がる空を映しとったような澄んだ青。青年は天を仰いだ。太陽の眩しさに目を細めながらも、空を眺める。

 おもむろに、同じ色を持つピアスに触れた。冷たい石の感触。だが、心にはほんのり温かみが宿る。

 瞳を閉じれば、透ける光に一人の女性を思い出した。瞼越しに感じる光のような、晴れやかな笑顔が似合う。愛しい女性の姿を……。



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