「チャンネルの覇権。」
[無題](1/1)


チャンネルを巡っての争いは
我が国に武士と云う身分の者が
台頭して以来、
永遠の争いのテーマだ。

平安末期に源氏と平氏が
「大河ドラマ」を視るのか
「お笑い番組」を視るのか、
その命を賭けて戦って以来、
各々、その視たい番組を巡って
ひとつのチャンネルを争う状況、

ここから「一所懸命」と云う
言葉が生まれた。


鎌倉・南北朝・戦国時代と
血の繋がった親子、兄弟の間でも
血みどろの戦いが、
幾度も繰り広げられた。

次男(年少者)が
「泣き落とし」と云う手口を
使って父母を味方に付け、
長男(跡継ぎ)から
チャンネル権を奪取する、

その状態は
「下克上」と呼ばれるに至る。



江戸時代、町人文化が花開き
一般庶民にも
テレビが普及すると、
更にその争いは細分化した。


その頃、
平賀源内なる人物が
DVDなるエレキテルを利用した器具を
発明して予約録画が可能となり
チャンネル争いは終結に向かうと
誰もが信じ、予想した。



しかし。

放映時間に視たいと云う
人々の飽くなき探究心は
留まらない。


幕府大老、井伊直弼により
「ジュウオウジャー」と
「プリキュア」の放映時間が
ずらされ、
兄妹間の諍いが減ったと
世の主婦層が安堵したのも
束の間の事。

人気番組の一局集中を
心良く思わない
水戸藩脱藩浪士達に
桜田門外で暗殺されたのは
まだ、記憶に新しく、生々しい。

(桜田門外の変)




時代は混沌としている。

この、チャンネル権争いが
大きなうねりとなって
尊皇攘夷派を刺激し、
いよいよ、倒幕運動に
繋がって往くのである。





猫SR著 「知られざる日本史」

(文中出典、
ワキペニアより、一部抜粋。)






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