椿と苦い密
[椿と苦い密](1/1)

もうすぐ夏が来るというのに、君は長袖の制服を着ていた。春の終わりの生温い風を受けて揺れるスカートから小さな膝が、のぞく。

「知ってる?椿ってね、花が首ごと落っこちて枯れるんだってさ」
突如振った話は柄にもなく、花の話題。なんとなく、君は花が好きそうだったから、そう付け加えた。本当は、君が花を好きだったらいいなぁ。なんて乙女みたいな僕の妄想の中での話なんだけれど。
「へぇ、そう」
返ってきた言葉は思いの外素っ気なかった。結局僕の妄想止まりだったその話題は、そこでぷつりと途切れた。それ以降、会話らしい会話はない。 夕暮れの帰り道、いつも一人で歩くときより孤独を感じるのは、なぜだろう。無言の時間が、僕をただ苦しくさせる。
「ねぇ」
もうあと50メートルで僕の家に着く、そんな時。僕より四歩程先を歩いていた君が振り向いて立ち止まった。
「あたしのこと、好きなの?」
思いもかけなかった言葉が飛び出した。ずっと無表情だった君の瞳は、真正面から僕を捉えて離さない。 そうだ、あの時も君はこんな目で僕を見ていた。


それはつい20分程前、教室へ忘れ物を取りに行ったときのこと。
放課後の教室で一人、窓枠に腰掛けながら校庭を眺める少女に、僕は気が付けば見入ってしまっていた。 白い肌と黒い髪のコントラストを、オレンジ色の夕日が中和している。柔らかな日差しに照らされた横顔は、絶望と諦念が入り交じったような表情だった。細い銀縁の眼鏡に、光が反射してキラキラと眩しい。
純粋に、その窓際の少女を美しいと思った。
「あたしに何か用」
どれくらいの時間が経ったのだろう。少女は僕の視線に気付き、声をかけてきた。 やけに冷たく、機械的な印象を受ける声。それでも、現実離れした美しさの少女が僕たちと同じように言葉を発した事実、それは僕に違和感さえ覚えさせた。
「聞いてる?」
返答を促す少女の声に抑揚はなく、そこから感情を汲み取ることは出来ない。眼鏡の奥の瞳は、僕をしっかりと見つめていた。返す言葉が見つからない僕は、口の開け閉めをただ繰り返す。 用がないのならあたし帰るから。そう言いながら腰掛けていた窓枠からひょいと飛び降りて、少女は僕に見向きもせず無表情で横を通り過ぎる。
「待って、」
かける言葉なんて、何一つ思いつかなかった。
「何」
ひょっとしたら、僕はこの状況に酔ってしまっているだけなのかもしれない。夕焼けに染まる教室、木々のざわめき、美しい少女。まるで現実味を感じさせない、今この状況に。
僕の声に足を止めゆっくりと振り返った少女の瞳は、もう僕を捉えてはいなかった。けれど僕は、どこか無機質で冷たいその瞳さえ、美しいと思ったほどだから。
「あ、あのさ、一緒に、帰らない?」
喉の奥から絞り出すように発した言葉。途切れ途切れ、幼児に絵本を読み聞かせるときのようだった。ああ、もうだめだ僕は。こんなんじゃ嫌われるに決まってる。だいたい初対面で初めてかける言葉が一緒に帰ろう、だなんて、よく考えればすごく変だ。僕は二秒前の自分を怨んで、視線を床に落とした。きっとこのまま少女を見続けていれば、不安と後悔に押しつぶされると思った。
暫くの沈黙の後。恐る恐る顔を上げると、少女は僕をじっと見つめていた。固く閉じられた唇がぴくり、動く。
「いいよ、別に」
少なくとも僕をからかっているようには聞こえなかった。本心の、声色。 真っ暗だった目の前が、一気に明るく照らされた。
子供のように喜ぶ僕の前で、君は僕を馬鹿にするでもなく、笑うでもなく、ただ僕を見つめていた。少しも感情を滲ませない表情にも、変わりはなかった。


「答えないなら、それでいいけど」
あの時と全く同じ瞳で、君は言う。沈みかけの夕日が、君の後ろで申し訳なさそうに輝いていた。
くるりと踵を返し再び歩き出した君に、僕が話かける術はもう、ない。僕に出来るのはだんだん遠くなる君の背中を見つめることだけだった。 今勇気を出して君を呼び止めたとしても、きっと奇跡に二度目はないだろう。
僕は、なんて情けないんだ。君と歩きだした時は二人を包み込むように吹いていた風も、今は僕一人に冷たい。
項垂れた目線の先には、僕の靴。地面。地面、地面、地面。君の姿は、顔を上げても見当たらなかった。

最後に振り返った君は、笑いながら言っていた。
「     」

ああ、ああ、日が落ちる。



 意 気 地 無 し
そんな、僕の初恋の話。




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