「それでは私はこれにて失礼致します」
「うむ…」
慎之介から企業スパイがいると聞かされて丸一日。
新城はどうにも動けずにいた。
いつもなら帰ろうとする丸木戸に、送るから一緒に帰ろうとか食事に行こうなどと誘うのが常套なのだが、そんな台詞が一切出ないのは自分が落ち込んでいる証拠だろう。
一人残ったこの部屋で新城はどうすべきか悩む。
スパイを捜し出さなければこちらの情報はこれからも筒抜けになってしまう。
かと言って捜し出す為には社員全員を疑ってかからねばならない。会社の為に尽くしてくれている皆に疑いの目を向けねばならないとは新城にとっては非情な事であった。
「はあ〜もうっ…俺らしくもない」
髪をクシャリと掴み、新城は大きな溜息を吐いて椅子から立ち上がり窓の方に向かった。
窓に映る自分の姿が今までになく弱々しいものに思えたが、ふと視線を下にやってそれどころではなくなった。
「…丸木戸君?」
会社の前に停まっていたタクシーに乗り込む愛しの彼女が見えた。例えビルの10階だろうと20階だろうと仮に100階であったとしても新城は丸木戸が一目で分かるのだ。
だがおかしい。
丸木戸は電車通勤(痴漢に遭うといけないから毎日車で迎えに行くと言っているが許可を貰えない)で、タクシーは使用しない筈だ。
何かしら用事があると考えられるが、わざわざ会社にタクシーを呼ぶあたり相当に急いでいるように見受けられる。
プライベートの事には口を出せないが、丸木戸は私用で早めに帰りたい時などは必ず事前に申し出る。
なのに今日は丸木戸にはそんなそぶりなどまるでなかった。
…ゾクリと背中を悪寒が駆け抜けて、新城は本能の告げるまま社長室を慌てて飛び出した。
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