B玉と空 (1/1)
青く抜けた空に、僕は微笑んだ。
「みて、ハルヤ」
紺のブレザーのボタンを開いて、手にスクールバックを持ったまま、正面を指指した。
「空だよ」
ゆっくりと、しゅわりと炭酸が舌にまとわりついたように言うと、ハルヤは顔を胡乱げにした。
はぁ?、と見るからに人を馬鹿にしたような顔をしたから、僕は正面を向いた。
窓硝子に映った、空の透明度をなんと言えばいいのだろう。
曇った硝子戸を挟んでみたわけでなければ、ラムネの瓶に顔を寄せたわけでもない。
遮るものがない空は、確かに空なのに、空ではない。
「あほくさ」
声に出すと、本物の空を仰いだハルヤが目を細めていた。
ブレザーの袖をまくりあげて、首に汗をかいている。
部活終わりの放課後は、清々しい秋の匂いだった。
教室棟と、特別教室棟を結ぶ、吹きっさらしの渡り路。
校舎の硝子で出来た空は、絶えず西に動いていく。
目で追っていると、ハルヤが口を開いた。
「偽物の空は好きじゃない」
ハルヤは続けた。
「偽物は本物にはなれない」
ハルヤは部活の副キャプテンだ。
その上にはフクヤマという二年生がいる。
きっと望んでも望まなくても、来年にはハルヤがキャプテンだった。
「あと一年まてば、キャプテンじゃない」
そう言うとハルヤは違うと首を振る。
「じゃあ、なに?」
そういうことじゃなくて。
ハルヤの首筋に丸く膨らんだ汗が重力に引かれて落ちていく。
喉が蠢いて、喉仏がひとつ唾液を飲み込んだ。
「俺はフクヤマ先輩じゃない」
「だから、なんのはなし?」
少しでもわかろうとしているのに、謎解きのようにbit単位でしかヒントを出してくれない。
謎解きの方がB単位でヒントをだしてくれるかもしれない。
じっとハルヤの瞳を見ようとしても、頑なにその瞳は空を映した。
その瞳もまた、空だった。
「フクヤマ先輩は、本物なんだよ」
「プレースタイルが似てるからって、一緒じゃないじゃない」
「一緒じゃないよ。だから、フクヤマ先輩は本物で、俺は偽物なんだ」
やっと、話の尾ひれが掴めた気がして、僕は顔を渋くさせた。
ハルヤはずっと、入部したときからフクヤマ先輩と比べられていた。
似てると、来年のキャプテンだと囁かれることも多くて、フクヤマ先輩も何かとハルヤを気にかけていた。
だからこそ。
本人にしか悟れない才覚の違いが、あるのだろう。
フクヤマ先輩の隣に並んでいたからこそ、ハルヤは今、こうして言葉をぶちまけている。
「自然のものに、偽物なんて、ないよ」
僕は淡々と、透明に話した。
「だったらその、硝子に映る空は偽物に決まってる」
きっぱりと言い切るハルヤに、僕は薄く笑った。
「ばっかだなぁハルヤ」
「空は、本物だ。それを映しただけの硝子は偽物。硝子は空にはなれない。だって素材が違うから」
ムキになって言い返すハルヤに、僕はちゃんと諭してやった。
ブレザーが風でパタパタと音をたてれば、ハルヤの汗が蒸発していく。
「空は、本物なんだから、硝子が映した空も本物に、決まってるでしょう」
「へりくつ」
「ハルヤも。」
五月蝿いくらいに繰り返してやる。
そうしないと納得しない、強固な原石だから。
「自然のものは、全部本物なんだよ。人工のものは、本物の偽物」
「なんだそれ」
ケタケタ笑うハルヤの、瞳がやっと、僕を向いた。
「じゃあ、俺は人工なのか」
「わからないよ」
目を細めて笑った。
目は硝子に映った空を見ながら。
「人工のものかもしれないし、自然のものかもしれないし」
「どっちだよ」
ハルヤも硝子に映った空を見つめていた。
「決めなくてもいいじゃない、別に。ラムネのビー玉はB玉で本物なんだよ」