夜もすがら 相談役B 1 / 1





スタート:だんな



楽しそうに話をする彼女。泣きそうになりながら話をする彼女。彼女の喜怒哀楽は、主に彼で成り立っているのではないだろうかと、そんな風に思えるほど彼女の中での彼の影響力は大きい。最近の彼女の話を聞いて、僕が思ったことがそれだ。
さて、ここで今の状況を見てみよう。にこにこと笑いながら話す彼女の前にいる僕、僕の役割と言えば、相談役Bだ。

彼女はヒロインで、彼は主人公。それがきっとこの物語の配役だ。彼女の瞳の奥にはいつだって彼しかいなかった。僕なんてつま先程も侵入できない。
「でね、」彼女の鈴のような声は僕の心に陰も陽も落とす。

「ねえ、話聞いてる?」彼女の瞳に僕が映った。「聞いてるよ」僕は答えた。「つまんなかった?」「面白いよ、コロコロ顔が変わって。」「なにそれ!」彼女は知らないだろう、ケラケラと笑う君が僕の中で大きな存在にありつつあることを。

僕は心は陰っていく。君が僕の中で膨らんで行くほど、僕の心はどんどん逆さへと落ちていくんだ。想いは膨らんで、膨らんで、萎んでを繰り返した。
「もう、ちゃんと聞いて」そう言って彼女は僕の二の腕をポスっと叩いた。

ああ、僕は馬鹿だ。こんな小さなことでさえ、どこかで嬉しいと感じている。「ごめんって。」そんなこと表には微塵も出さないようにしているけれど。この思いが膨らむほど、苦しむのは僕だ。だからこの関係は、弱い僕が傷つかないための僕のために張った防衛線なのだ。

心にブレーキをかけ、今日も僕は彼女の話を聞く。
彼女の笑顔は眩しい。僕の姿を照らし、陽の力で表を輝かせる。けれどその反面僕の背中を陰らせる。やめてしまえよ、そう言えと何度も陰らせる。未だ彼女にその気持ちが伝わっていないのは僕が背中を見せていないからだ。

たまにジクジクと痛むその背中を隠すのが上手くなっていた。「いつまで続くかなあ、」呟いた独り言は夕焼けの中にすうっと消えていった。そして日常は案外簡単に崩れていくものだと知ることになる。「別れるかもしれない」大きな瞳を潤ませて彼女は俯いたままだ。

好機と捉えるのか、そうでないと捉えるのか。まずは話を聞こうと僕は彼女のか細い声に耳を澄ませた。
「他の女の子と歩いてるの見ちゃって、」「浮気?」「分からない、分かりたくない」大きな瞳からポロリと涙が落ちて、彼女のローファーに染みを作った。

「とりあえず、座ろう。」一日中いつもの元気がなかったように見えたのは気のせいではなく、理由があったのだ。早く聞けばよかったと少しばかりの後悔が身を包む。「どうしたいの、」「どうしたいんだろう。別れたくないけど、今は、わからないの。」睫毛を濡らす雫が光る。

キラキラと睫毛に触れた雫は光に反射して輝いていた。
分からない。そう言った彼女の瞳の奥は闇が包んでる。別れてしまえよと言えたらどれだけ彼女を苦しめるだろう。そしてどれだけ救えるだろう。
「僕は裏切らない、よ」絞り出た言葉はなんともチープだった。

「えっ、」一瞬、沈黙が流れた。それは本当に一瞬だったのだけれど、僕にとっては数分間に感じられるような長さだった。彼女はじぃっと僕の顔を眺め、「そうだね、君なら幸せにしてくれそう。」と言った。僕は心の中で違う、そうじゃないんだと呟いていた。

彼女が今僕を選べばそれは彼女ではない。矛盾だ。選べと思うのに、選ばれるのが怖いのだ。僕は彼女を裏切らない。けれど、彼女を幸せにはできないから。幸せにしてくれそうと言った彼女を幸せにできないのだから。僕はいつまで経っても相談役Bから、変われない。

悩んでいるなら、いっそのこと言ってしまえたら楽なのに。君が好きだと、君の隣にいたいと。でも出てきた言葉は「ありがとう」と「ちゃんと話をしておいで」というもので、僕は自分の情けなさを感じることになる。君がよく話す彼ならきっとこんな言葉は口にしないのだろう。

彼女はゆっくりと瞳に生気を戻し、「うん、行ってくる」と言い残して来た道を戻っていった。
やっぱり変わらなかった。変えられなかった。情けなさや呆れはあるけれど後悔はない。どうせ相談役Bだという諦めがあるからだ。僕は彼女とさっき座った場所にもう一度腰をおろした。

「変わるって、大変だなあ。」今の関係を壊すのが怖い。僕が相談役でいる理由。彼女の話を聞いて、笑って。例え望む形でなくても彼女の隣にいられる。臆病な僕はそこから先に進むのが怖い。僕のこの思いが、二人の間に亀裂を作るのではと思うと前に進めないのだ。

内心壊れてしまえと思う。けれど、まだこのぬるま湯の中に居たい。瞼を閉じて少し冷たい空気を吸うと、瞼裏に彼女が浮かんだ。色んな話をした。殆どが彼の話だったけれど、それもまた良かった。だって彼の話をする彼女は世界で一番可愛いのだ。その彼女を見れただけで。

そう、僕はある意味現状に満足していた。これでいい、と自分に言い聞かせていたといった方が正しいかもしれない。けれど、彼女は次の日学校には来なかった。心配になって携帯に入れた連絡もかえっては来ず、僕は一日中彼女のことで頭をいっぱいにしながら過ごした。

彼女が登校してきたのはその3日後の昼前だった。ミディアムロングの髪がバッサリショートに切られていて、ほんのり茶色くもなっている。彼女は友達に「おはよう」と挨拶していた。友達は「雰囲気変わったね」と笑った。
「久しぶり」カバンを机に置きながら僕に言う。

「おはよう、」僕は何と言ったらいいかわからず、ただそれだけを返した。「放課後、話せる?」切り出したのは彼女で、僕はまた、ただうん、とだけ返したのだった。一日が長く感じた。授業中眺めた彼女の横顔は、いつもと変わらないものなのに、何だか寂しそうに見えた。

放課後、「帰ろっか」と彼女は僕の机の前に来た。「そうだね」と返した。
話すときはいつも家近くの公園で話す。今日もその予定で歩き出した。いつもと同じペース、いつもと同じ雑談。何も変わらない。公園に着くと、またいつもと同じベンチに座った。

「びっくりしたでしょう?」彼女が髪を指差して言った。「うん」少し困ったように笑って僕は返した。「でも、似合ってる。」精一杯にそう付け加えて。「ありがとう。」彼女は笑った。「別れたの。」遠くを見つめる彼女の瞳が空の色を写し、反射した太陽が眩しかった。

「彼、やっぱり浮気してたみたい」彼女は笑った。続けて「私のこと好きだって何度も言ってた。でも、それなら浮気なんてしないよね。恋人を傷付ける選択肢なんて浮かばないと思ったの」と言った。僕は「そうだね」と返した。「別れたらなんだかスッキリして、髪、切っちゃった」と続けざまに言う。

「そっか」と僕は頷いた。それから大きく息を吸って、そして吐き出してから話し出した。「笑わなくていいよ。」彼女の驚いた顔が視界の隅に映った。「ずっと聞いてきたから、どれだけ彼のこと思ってたか知ってる。だから、いいよ。」彼女は首を横に振りながら、泣いた。

彼女の染めたての茶色がキラキラと輝く。僕は彼女の肩を抱くことも、その茶色を撫でることもできない。否、しない。相談役Bはここで終わりなのだ。
彼女はゆっくりと泣き止み、鼻をグズグズ鳴らしながら「へへ」と恥ずかしそうに笑う。僕も「ふふ」と笑った。

そう、これでいい。この立ち位置で、僕は十分だった。「話してよかった。」彼女は去り際にポソリとこぼした。「聞けてよかった。」僕はそう返す。「ありがとう」「いいえ」「じゃあまた」 明日も明後日も、彼女の話を聞くだろう。相談役Bは、王子様にはなれなくとも、彼女の隣で笑っていた。








- 6 -


栞を挟む

/7 ページ


⇒作品?レビュー
⇒モバスペ?Book?


戻る