サヨナラコロナ
[変貌](1/1)
今、僕らは文明社会の最後を、この目で見届けようとしているのかも知れない。
僕らは、未来永劫…この繁栄が続き、SF映画で見たような…空飛ぶ車や系外惑星への旅や、不老不死が叶う科学技術の進歩の恩恵を疑う余地無く信じきっていたのだ。
しかし、たった数百年で近代文明社会が破綻するなんて、一体何人のお偉い社会学者たちが想像したろうか。
それも、たった一つのウイルスに依って。

発端は当初「野生のコウモリ」と言われたが、支那と米国がウイルスを理由に全面戦争を始めた今は、支那の細菌兵器説を疑う者は少ないだろう。
事実関係がどうであれ、お得意の善悪二元論の印象操作によって、世論は中国のヒール役を受け入れた。

全世界に瞬く間に広がったウイルスは、アメリカとイタリア、イギリスを中心にパンデミックを引き起こし、都市封鎖や外出禁止令や、事実上の戒厳令で各国をパニックに陥れた。
数十万人の犠牲者を出した感染事案は、半年程でひとまずの収束を迎えたかに見えたが、その年の秋を待たずに、第二波が全世界を襲った。
やっとこさ臨床実験までこぎつけた抗ウイルス薬や、ワクチンは進化した新しいウイルスには効力を持たず、人々は再び感染に怯えるしかなかった。

しかし、第一波で学習した市民達は、新しい生活様式と価値観を容易く受け入れ、それに順応した。
社会的距離(ソーシャル・ディスタンス)という言葉が当たり前になって、僕らの生活は一変した。
当初、個体間の感染を防ぐ安全な距離の事を指した言葉は、やがてコミュニティーや個々世帯、しいては国家や大陸間に於いても使用されるようになった。
則ち、以前のような…自由な渡航や宿主である人間の移動は制限の対象となったのだ。
個人旅行は所管省庁や自治体の許可制になり、引っ越しや転勤・転校すらも容易く許可されず、10人以上の室内の集会は勿論、音楽イベントやプロスポーツなどの興行もキャパシティの三割制限を設けるなどの感染対策がなされるのが恒常化した。

それによって、僕らの社会がどんなふうに変わったのか。
いや、そんな状況でも、一体何が変わらなかったのかを、僕は問いたいと思う。
これは…単なるディストピア願望では無く、人間という生物が如何に脆弱で儚く、如何に強くしぶとい存在なのかを証明する物語でもある。




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